先週からパラグアイに滞在しているわけですが、実はこの国にやってきた一番の目的は、とある学校を訪れることでした。その学校はパラグアイ人が作ったパラグアイ人のための私立学校なのですが、名前を「NIHON GAKKO」(ニホンガッコウ)と言います。「日本人学校」でも「日本語学校」でもなく、「ニホンガッコウ」です。
そもそもこの学校の存在を知ったのは昨年7月のことで、たまたま観ていたテレビ番組に登場したのがきっかけでした。テレビ東京の番組で、内容は海外の国を訪れて日本語の歌を知っている人を探すというものでした(今グーグルで調べてみたら『世界なんでその歌知ってるの?』っていう番組だったようです)。後にも先にもこの日しかその番組を観た記憶はないのですが、そのたまたま視聴した回の訪問先がパラグアイだったのです。その番組の中で「日本語の歌を知っている人がいる場所」として登場したのがニホンガッコウでした。
何の気なしに観ていた番組だったのですが、同校が登場した瞬間から、夫婦でテレビ画面に釘付けになっていました。地球の反対側の遠い小さな内陸国に「NIHON GAKKO」なんて名前の学校が存在しているだけで既に信じられないような話なのですが、さらに生徒達は毎日の全校集会でパラグアイ国家と合わせて日本国歌の『君が代』を歌っています。集会のステージではパラグアイ国旗・ニホンガッコウ校旗と並んで当然のように日本国旗も掲げられます。逆に日本の日常的な学校生活ではまず目にすることのないその光景は、思わず「異様」という言葉が浮かんでしまうほどに衝撃的でした。(ちなみに日本国内では国旗・国歌そのものに反対する声も盛んですが、ここでは国旗掲揚・国歌斉唱の是非についての議論はしません。あくまで僕がここで伝えたいのは、「日本から遠く離れた南米の国に、このような形で日々僕らの国への深い敬意と親愛を表現してくれている学校が存在する」という驚くべき事実そのものです。)他にも校内の一角に日本語で書かれた「楽あれば苦あり」という掲示だとか(個人的には楽と苦の順序が逆の方が好きですが)、茶室での茶道の様子だとか、卒業式ではKiroroの『未来へ』を歌うだとか、それはもう衝撃に次ぐ衝撃でした。ここまでくると当然浮かんでくる疑問は「なぜ?」というものです。
聞けば、創設者のオルテガ夫妻は若き日に日本へと国費留学した経験があり、その経験を還元してパラグアイ社会をより良く変えていくことを志して、日本文化教育をカリキュラムの軸に取り入れた学校を作ったというのです。1993年に幼稚園と小学校からスタートした同校は、創立から20年以上が経った現在、中等部・高等部、そして大学にまで組織が拡張し、合計3000人以上の生徒が学ぶ一大教育機関に成長し、幼児も含めた生徒全員が必修科目として日本語を学んでいるということです。
こんな事実を知ってしまったら、もういても立ってもいられません(笑)。
これだけの情熱と志を持った、しかも他でもない自分たちの祖国をここまで深く愛してくれている教育機関が世界の反対側に存在していながら、それを肝心の日本人が全然知らない(おそらく一部の関係者や元現地在住者を除けば、僕も含めた殆どの日本国民は同校の存在を知らなかったことと思います)というこの事実が、何とも切なくやるせないもののように感じられてきました。番組で同校の様子を観ながら、心は既に「絶対この学校を訪ねる」と決めていました。(隣で一緒に番組を観ていた妻も同じ気持ちだったようです。)
で、話はここで終わりません。番組を観ながら、僕と妻は一人の友人のことを思い出していました。更に時を遡ること1年以上、鳥取市内のとある国際交流イベントで知り合ったパラグアイ人の友人、Carlos(カルロス)その人です。山陰地方で留学生活を送っていたいた彼がその後帰国したこと、帰国後にどこかの学校で働いていたこと、そこでヨサコイの指導を始めたことなどを、彼のFacebookでの投稿を通じて知っていました。そういうわけだったので、パラグアイの、しかも「ニホンガッコウ」なんて名前の学校が登場した瞬間に、「まさかカルロスの働いとる学校って、ここじゃないか?」という話になったのです。それからすぐに「画面の写真撮ってカルロスに送ろう!」という流れになって、大急ぎでテレビ画面に映る光景を撮影しました。番組終了後、カルロスにそれらの写真を送ると、10分後に返事が返ってきました。訳すとこんな感じです。
「うわあああああ信じられない!僕が教えてる学校だ!」
その日から、インターネット越しに彼と色んな話をするようになりました。僕も自分の寺子屋でラテンアメリカ文化を積極的に紹介していて、高校生や大人の生徒にスペイン語も教えていることを伝え、彼もニホンガッコウで取り組んでいる活動について教えてくれました。また「日本とラテンアメリカの交流は、お互いの持っている長所を考えるとまさに理想的な組み合わせだ」というところで意見が完全に一致し、未来の交流計画を話し合ったりするようになりました。
そしてあのテレビ番組の夜から約1年が経った今週月曜日、願っていたニホンガッコウ訪問は遂に実現に至りました。もちろん、同校教諭カルロスが僕らを自宅に受け入れてくれた上、校長先生との間を繋いでくれたお陰です。
我々夫婦だけでなくカルロスも含めた僕ら3人にとって、自分達自身の出会いから今回のニホンガッコウ訪問に至るまでの過程の全てが、運命あるいは神様の導きとしか言いようのないものばかりでした。
以上、「ニホンガッコウ訪問記」イントロダクションでした。次回からは、実際の訪問の様子、現地での活動や新たな出会いについて、さらに具体的に書いていこうと思います。楽しみにお待ちください。それではまた次回。
¡Hasta luego!