帰日、帰鳥、帰宅。

鳥取砂丘

2015年7月21日夕方、日本に帰ってきました。エミレーツ航空EK316便で17時過ぎの到着で、そこからリムジンバス1時間、高速バス3時間の移動を経て、同日23時頃、無事に故郷鳥取に帰り着きました。夫婦揃って疲労と風邪と時差ボケを抱えているので体調は話になりませんが、気持ちはとっても充実しており、元気です。

全部で80日間の南米滞在は、いざ終わって地球の反対側にまた戻ってくると、夢と一緒に記憶の湖に放り込まれてしまい、思い出してもいまいち現実味が感じられません。おそらく場所を問わず、旅から戻られたことのある多くの方が経験したことのある感覚なのではないかと思います。また、自宅に戻った時も何だか不思議な感覚で、まるで誰かが知らない間に僕らの家を用意してくれていたかのような錯覚に陥りました。この現実感の無さは、鳥取という街の静けさとも多少関係しているかもしれません。僕自身は南米も鳥取も「人がいて街があって暮らしがある」という意味では本質的には大して変わらないとどこかで思っていたりもするのですが、やはりこういう形で現実感を喪失する程度には大きく異なる環境なのだと改めて実感させられます。あとは帰りの飛行機で、宇宙人が地球にやってきて色々カルチャーショックを体験する映画を3回くらい観たせいで、僕も同じような感覚に陥っている気がします。「何だこの惑星は?」みたいな気分で周りの人や建物を見てしまうのは、間違いなくそのせいでしょう。

ちなみにこのエッセイを書いている今の時点で、帰国して40時間位が経ちますが、断続的に寝ては起き、耳がうまく通らないなかで時に頭痛もやってきて、という感じです。久しぶりに再会した父と一度食事に出かけた以外は自宅から出ることも殆どなく、今は南米社会でもなければ日本社会でもない、時空の狭間のような場所にいる心地がしています。そこでひっそりと息をひそめながら、寝たり起きたりゴロゴロしたり、こうしてパソコンを開いてブログを書いたりして、身体のリズムがこの土地に再び馴染むまでじっくりと待つのです。ブラジルに着いた時は大体10日くらいはかかったので、今回も多分同じくらいかかるでしょう。少なくとも7月いっぱいはひっそりと過ごして、徐々に活動らしい活動(って、具体的に言うと何だろう?)を始めていこうかな、などと大して働かない頭でぼんやり考えているところです。

今のうちに、つまり新しい現在との追いかけっこが始まる前のこの時間に、もはや過去となってしまった旅の記憶をなるべく丁寧に掘り起こして、本ブログにレポートの形で上げていこうと思っています。旅の最中は何だかんだでしっかり命を使って生きていたこともあり、毎日の密度が濃くてとてもすぐにブログ記事に仕上げられるような感じではありませんでした。この今の静寂が覆う、夏と雨の鳥取の片隅で、今回の旅の記憶をなるべく丁寧に言葉に換えていくつもりです。

ところで、帰郷を象徴する一枚として、上に砂丘の写真を掲載しています。これは「鳥取砂丘再生会議」というサイトに掲載されていた中から拝借したものです。写真をクリックすると同サイトが開きます。ご興味のある方は是非。

また砂といえば、帰りの飛行機の出発が5時間遅れて乗り継ぎができなくなってしまったため、航空会社負担でUAE(アラブ首長国連邦)のドバイに一泊させてもらいました。まったく思ってもみなかった形でドバイ市内を観光するチャンスに恵まれたので、その話も後ほどご紹介しようと思います。

というわけで、ひとまず帰日、帰鳥、帰宅のご報告でした。

追伸

本記事のタイトルに「帰日、帰鳥」という言葉を使いましたが、最初は「帰国」にしていました。でもそれを書いてから、僕自身の実感として「帰国」という言葉は「帰日」と「帰鳥」の2種類を指すことがはっきりと自覚できたので、表現を変えました。パスポートを保有している「日本」というクニ(国、故郷)と、かつては因幡の国と呼ばれていたこの鳥取というクニとの両方が僕にとっては「国」なのだと、改めて感じた次第です。ビバ日本。ビバ鳥取。そしてビバホーム。