さて、前回の記事で「帰国」のご報告をいたしましたが、それまで約2週間もブログの更新が滞っていました。いつも更新を楽しみにしてくださっている皆さん、またもやご期待を裏切ってしまって本当にすんません。実を言うと、もう単純にバテていました。現地で最後に更新した8日あたりから疲れが徐々に出始めて、最後の一週間(今月第3週)を迎えた頃には完全に心身共にへばっていることを自覚しました。住所は何処か今も把握していませんがお世話になっていた友人宅を辞した13日月曜のお昼前、サンパウロ市内へと戻るバスの中で何度も吐き気を催して、気がつくと結構フラフラになっていました。
やはり、夫婦で70日間いくつものご家庭でホームステイさせてもらう中で、各地でそれなりに気も遣っていたようで、気疲れも相当溜まっていたようです。また、そもそも後半の宿泊先は定かでない状況で日本を出発していたため、それも余計に緊張感を増していたようです。あとはブラジル特有の目まぐるしい寒暖の変化や、度重なる長距離移動による身体への負担。と、こんな風に列挙するとなんだかネガティブなことばかり書いているようですが、こういう面も旅の教訓として残しておこうと思って記しています。まあ、どれも当たり前のことですが。
それでフラフラになっていたわけですが、いつもお世話になっているサンパウロ市内の旅行会社さんまで何とか辿り着いて、仲良しの日系ブラジル人のエージェントさんにその場で最終日までのホテルを予約してもらいました。もはやネットでホテルを探す気力もなかったので、大変助かりました。この時感じたことですが、やはり旅というのは何が待っているか分からないものです。ここに至るまでの70日間、ホームステイ生活の上に日々の食事や移動等も出費を極力抑えて生活していたお陰で、最後の最後にホテルに泊まるということが可能になりました。特に今回はクレジットカード無し、現金のみでの旅だったので、蓄えに余裕を保たせて旅をする大切さを再認識した次第です。ちなみに上の写真はホテルの部屋からの1枚です。
というわけでホテルに移ったのはいいのですが、全部で3個あったスーツケースのうち2つはサンパウロから約70km離れたサントス市、残りの1つはさらにその隣のグアルジャ市(サンパウロから約80km)の友人宅に置いてきたままでした。この2市は海岸沿いで、丘の上に建設されたサンパウロ市とは標高差が800mくらいあるので、気候が結構変わります。まあでも取りに行かないと日本に帰れませんし、ホストファミリーに挨拶もしたい。そこで、翌火曜にバスに乗ってサントスまでスーツケースを取りに行ってサンパウロまで戻り、水曜には再びバスに乗ってグアルジャまで出かけて、ホストファミリーとの最後の挨拶をした後に最後のスーツケースを持って帰りました。いずれも朝から動く予定だったのが夫婦揃って全然力が入らず、火曜は昼過ぎ、水曜は15時過ぎの出発になりました。火曜日のサントスは「冬」だというのに気温が40度近く、これで妻は完全にやられてしまい、間もなく風邪を引いてしまいました。逆に高地のサンパウロは冷える日は一気に冷えるのです。
この時点で、出発日を合わせるとブラジル滞在は残りあと3日。翌日以降はほぼホテルから1km以上離れることなく過ごして、出発までの時を待ちました。で、この最後の3日間なのですが、夫婦揃ってエネルギー切れのままなす術なく出発を迎えてしまいそうだったところ、思わぬサプライズで一気に気持ちが回復して乗り切ることができました。2012年3月の卒業以来全く会っていなかった大学時代の友人が僕らの南米滞在と時を同じくして北米のメキシコに滞在していたのですが、手元に残っていたマイレージを一気に使い切ってブラジルまで会いに来てくれたのです。最後の木、金、土と彼が続けてホテルまで来てくれて、最後は空港まで付き合ってくれたお陰で、僕も妻も一気に気持ちが楽しくなり、最高の気分でブラジルを後にすることができました。この旅の間、現地の様々な友人達のお世話になる中で感じる有難さというのももちろん深く身に心にしみていたのですが、「地球の反対側で疲れ切ってしまった時に、故郷の友人が会いに来てくれた」という事実は、それとはまた違った意味で本当に魂にしみました。これ以上ないくらい深い心の底からの「ああ、俺には友達がいたんだ」とでも言えばよいのでしょうか。もはやあらゆる余力を使い果たして、この最後の一週間の始まる頃には「地球を半周する気力と体力がもうない」と半ば本気で絶望しかけていたので、彼の訪問には本当に救われました。そんな自慢の友人、りーくんのブログはこちらです。写真が中心のとってもワクワクするブログなので、是非ご覧ください。
また、ホテルを探して押さえてくださった日系2世のエージェント美智子さんも、業務を超えてホテル出発の瞬間まで色々面倒を見てくださり、最後は空港チェックインのサポートを現地で働いている別のエージェントさんに頼んでくださいました。僕らの航空券は彼女の会社を通じて買ったものではなかったにもかかわらず、です。お陰で空港でも何の心配もなくスムーズに早めのチェックインができて、空港内のレストランでゆっくり食事を楽しんでから帰ることができました。ちなみに空港でアテンドしてくださったのも日系人のエージェントさんなのですが、ブラジル滞在中は、いざという時ほど日系人の方に助けられました。パラグアイでも日本人移住者の方に助けていただきましたし、今回の旅では「母語と文化を共有する同胞」という存在の有難みをいつになく実感しました(もっと言うと、帰りの飛行機でも同じようなことがありました)。
そういうわけで、夫婦揃って完全にバテてしまった南米最後の一週間は、メキシコから飛んできてくれた友達という名のヒーローのお陰で、何とか無事に、そして楽しく前向きな気持ちで乗り切ることができました。そしてこういうわけで、僕はブログを書けませんでした。すんません。
ちなみに「旅の最後」の物語はこれで終わりません。この後なんと、ブラジル発の飛行機が技術トラブルとかいう理由で5時間遅れの出発になり、ドバイでの関西空港行きの便との接続を逃してしまうという更なる「おまけのイベント」が用意されていました。空気の乾燥した離陸前の機内での5時間の間に、めでたく僕も風邪を引いてしまいました。まあでもこの最後のトラブルもまた、結果的には楽しいイベントとして幕を閉じるのですが、それについては稿を改めることにします。
以上、ブラジル最後の一週間の様子と、僕がまたブログを更新しなかった言い訳でした。