時差と時感差、日常世界と狭間の世界

ブラジル、パラグアイ、ついでにドバイから帰国して127時間が経ちました。通常なら「5日が経ちました」と書くところなのですが、「5日」という実感がないので書けません。身体実感としてはあくまで「127時間」なんです。「朝起きて、1日を過ごし、夜になったら寝る」だとか、「日がまた昇り、また沈む」だとか、「一週間のルーティーン」だとか、そういうものが全く関係ないところで生活しているからでしょう(もはやそれを「生活」と呼ぶのかどうかすら分かりませんが、一応生きて呼吸して服も着てご飯も食べています)。「日にち」という概念の外にいると、どうしても「日」という単位では物事を考えられなくなるようです。今までもメキシコやらブラジルやらから帰国するという体験は何度もしているのですが、今回に限っては何時になく不思議な時間感覚が続いているように感じます。ところで書き始めてからさっき気付いたのですが、「127時間」といえば、同じタイトルの映画がありますね(2010年公開)。これも何かの縁なので予告編を貼っておきます。

結末は予告編を観ただけでも容易に想像されるだけに、幼い頃から気が細い自分としては観に行くのに勇気が要りましたが、あの名作『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)の監督&作曲家タッグによる作品ということで、期待が上回って映画館に足を運びました。結論から言えば、観てよかったです。『スラムドッグ〜』も『127時間』も、まだご覧になっていない方は是非。

それにしても毎回話が逸れますね。時間の話でした。

南米とアラブという2つの「異世界」から戻った現在、僕は時間に関する2種類の「ボケ」の中で生きています。ひとつは誰でも聞いたのことのある「時差ボケ」の世界、そしてもうひとつは僕の造語なのですが「時感差ボケ」の世界です。

時差というのはご存知の通り、惑星の運動の関係で発生する、時計が指し示す時刻の地域毎の差です。同じ「現在」でも日本が午前1時を迎える頃、ブラジルではちょうど12時間遅い前日の午後1時を迎えています。メキシコとはさらに3時間離れた15時間の差があり、逆にドバイとは5時間の差しかありません。時差の発生する地域に移動すると、自らの内に形成されている概日リズム(体内時計)と外側の時間との間にズレが生じてしまうため、現地で適切な時間に睡眠が取れなかったり、酷い場合は頭痛や吐き気が発生したりします。これが時差ボケです。症状には個人差があって、僕の場合、吐き気より頭痛がやってくることが多いです。ちょうど今も頭が痛くて困っています。

一方、時感差というのは惑星の運動でなく人間の運動の関係で発生し、主観的に感じる時間の流れ方(速度)がその場所の環境によって変化する現象を指しています。卑近な例で言えば退屈な時間と楽しい時間では時間の速度は異なって感じられます。これを「時感」と呼んでいるのですが、例えば僕は学生時代、大学のある東京と地元の鳥取という、大きく環境の異なる2都市を行き来する生活を送る中で、各都市における「時感」のギャップに苦しみました。時間の急流のような東京への適応が大変だったことは言うまでもないですが、逆に東京から鳥取に帰省した場合でも、最初の数日はうまく時感が合わなくて戸惑うことが多くありました。具体的には「何もしなくていいのに何かしなきゃいけない気がして意味もなく色々やろうとして徒労に終わる。でも、思ったほど時間は経っていなかった。何だこりゃ」みたいなことです。文字通りの意味で「調子が狂う」感覚です。

あ、ダメだ、そう言っている間にまた時差ボケきた。寝ます。現在午前1時過ぎ。

起きました。現在午前4時前。大体3時間くらい寝ていたようです。体全体が重たい感じはありますが、頭痛は少しおさまりました。よかった。

さて、時差と時感差の話でした。東京と鳥取の間では、時差はなくても大きな時感差があり、南米と鳥取では、とりあえず大きな時差があります。では、時感差はどうでしょう。

実はアスンシオン(パラグアイの首都)と鳥取では、全くと言っていいほど時感差を感じませんでした。僅か2週間程度の滞在ながら思わず『パラグアイから帰りたくない』なんて記事をブログに上げたのは、初めて訪れる場所と思えないくらいに「落ち着く」ものがあったからなのですが、その主な理由は今思えば時感差が殆どなかったことによると思います。ブラジルはどうかというと、僕が滞在していたのはサンパウロ市と、そこから車で1時間程の大西洋岸地域でしたが、何だか落ち着いているような忙しいような、どちらともつかない感じでした。ただ、治安に関する緊張感は日本より遥かにビシビシと感じるわりに、生活リズムの忙しなさという意味での緊張感は日本より緩やかです。

また、この時感という感覚は同じ都市でも生活・滞在の状況によって変化します。例えば旅人・訪問者として過ごす最初の期間は、その地域の社会が作る日常的な時間世界(時間の流れ)に全く入り込めてないため、時間の流れ方はそれとは関係ないものになります。大抵の場合、時はゆっくり流れます。ブラジルでもパラグアイでも同じでした。しかしこれが暫く経って現地のリズムにだんだん適応してくると、その社会の日常性の枠の中に次第に取り込まれていくような感じになって、時間の流れも次第に速くなっていくのです。どうやら日常性は時間の流れを加速させるようです。この「その場所に着いて間もない時期の、時間がゆっくりと流れる独特の感覚」のことを、僕は「狭間の世界」と呼んでいます。対義語にあたるのが「日常世界」です。

現在、僕は日本に到着してから132時間が経過しようとしているところですが、まさに狭間の世界の中で生活しています。数回だけ「日常世界」に顔を出してきましたが、それはつまり「日常世界を生きている人と会ってきた時間」のことを指します。その間だけ2つの時間が触れ合うような形になります。何となく想像できるかと思いますが、2つのうち引力が強いのは日常世界の方です。狭間の世界の住人を見つけると、容赦なく取り込みに触手を伸ばしてきます。もし狭間の世界に居続けたかったら、意識して留まり続ける必要があります。出るのは簡単でも、また戻ってくるのは簡単でないからです(日常世界から狭間の世界に抜ける時の入り口は、「早朝」か「昼寝の後」のどちらかであることが多いです)。

対義語が「日常世界」であることからも分かるように、「狭間の世界」とは「一般的な日常性の中に属さない“時の流れ”に留まっている」ことを指します。つまり、既に後にしたブラジルやパラグアイの日常にも、日本の日常にもコミットしていないのです。これは物を書く上では最高の環境です。濃密な80日間の旅を終えた今、僕は「書く」ということを自分の「仕事」の最上位に置いた生活を心掛けているので(「生活」の最上位は休むことです)、そういう意味でできるだけ長くこの「狭間の世界」に留まり続けるつもりです。やり方はあります。それは単純で、「自分の時間を生きる」「自分自身が時間となって生きる」ということです。言うと単純なことほど実行は困難なのですが、不可能ではないので、僕はその方向に向けて努力をするわけです。これまでも約10年、その努力をずっと続けてきました。そう、困難と不可能は違います。

今急に思い出したんですが、当時19歳で、大学での専攻を決められず迷っていた僕に(東大は入学してから学部を選ぶ、日本では珍しい仕組みの大学です。悪くない仕組みです)飲みの席で酔っ払っていた恩師が「サカモト!君は哲学科に進んで『時間とは何か』について考えるんだよ!」と勝手に断定してきたことがありました。先ほど書いた「自分の時間を生きる」「自分自身が時間となって生きる」という「しせい」も、その恩師から教わったことです。結局哲学科には進みませんでしたが、10年経ってもこんな風に時間についてあれこれ考えているところを見ると、優れた教師の学生を見る目の確かさに改めて驚きます。先生すげえ。あの偉大な恩師についてもまた改めて書きたいと思います。

まあそういうわけで、時差と時感差、日常世界と狭間の世界という、僕らの生きる世界に確かに存在する時間に関する「秘密」について、僕なりに感じることを書いてみました。いかがだったでしょうか。

僕自身は先ほども宣言した通り、できる限りこの「狭間の世界」に留まって文章を書き続けたいと思っています。100パーセント「狭間」というのはなかなか難しいのがこの世界ですが、感覚としては何とか頑張って7割以上はキープしたいところです。残りの3割の中で寺子屋とか、食べるための営みとか、最低限必要な範囲でちょこちょこやっていこうと思います。あと海外のとの仕事はやり方次第で「狭間」の中からやれそうですね。色々工夫してみるつもりです。

最後になりましたが、一番上の絵はスペインの画家サルバドール・ダリの『記憶の固執』(La persistencia de la memoria)という作品です。1931年製作。シュルレアリスムと呼ばれる表現スタイルの代表的な画家・作品です。最近すっかり日本語でもよく使われるようになった「シュール」という言葉の本家です。シュルレアリスム自体は日本語で「超現実主義」と訳されますが、簡単に言うと「意識外のものを描き出す」ことを目指したようですね(参考サイト:http://sur2011.jp)。時間とか意識とか、言葉にすると簡単ですが、奥の深い世界です。ほんとに。

あ、夜が明けとる。カーテン開けよ。