タカサカモトの本当にあった「寺子屋物語」シリーズ第3回です。前回までは僕がなぜ「学校でも塾でもなく寺子屋」を作るに至ったかを、高校時代の原体験を交えて説明しました。その原体験とは簡単に要約すると、「学びにおける『なぜ』や『何のため』を深く問いかけることなしに偏差値向上や入試合格実績だけを追求するような、時代錯誤としか言いようがない意味不明な『教育』が平気でまかり通っていた当時の鳥取の状況に心底違和感と憤りを感じたこと」です(そしてその状況は現在に至るまで大きく変化していないようです)。そこが原点となって高校卒業から約10年後の2013年、「もっと本質的に広く深く学べて、個々の意欲・関心をできるだけ深い所から引き出して伸ばすような教育現場」を実際に作ってみる、という結果に至ったのです。
とはいえこの「寺子屋」という事業、はじめは完全に成り行きと思いつきからのスタートでした。2013年夏、3ヶ月のブラジル滞在から鳥取に戻った僕は、学生時代から親しくしていた知人から、古い倉庫の一角を使って何かしてみないかとオファーをいただいて、まず「やりたいこと」と「できること」を考えた結果「教育」というテーマに辿り着きます。「学校」をいきなり作るのは現実的でないし、かといって学業成績を伸ばすだけの「学習塾」を作るなんて全然興味ないしやりたくない。そんなことを考えている時にふと「じゃあ、とりあえず寺子屋をやってみよう」という発想が浮かんだのです。それで場所を貸してくれた知人に一言伝えてみたら「ああ!寺子屋いいんじゃない?」という返事が返ってきました。ちなみにその時、出店コンサルタントや事業立ち上げのサポートに実績のある内装屋さんも同じ場所にいたのですが、彼も「寺子屋いいと思うで!」とのコメントでした。その2人の言葉のニュアンスから何か前向きなものを感じ取ったこともあり、「じゃあ寺子屋で」という気持ちになりました。この時点ではまだ僕も具体的な内容をイメージできていたわけではなく、完全に見切り発車です。前述した「もっと本質的に広く深く学べて、個々の意欲・関心をできるだけ深い所から引き出して伸ばすような教育現場」というところまでは考えているのですが、それをどう実現するとか、大体なぜそれが「寺子屋」という名前なのかとか、そういうことまでは全然具体的に考えられていません。さらに言えば事業をやりたくて場所を探したのではなく、「何かやってみる場所」をポンと貸してもらえたから何もやらないわけにいかず、それで思いついたのが「寺子屋」だったわけです。
とはいえ、どちらにしても生徒がいないと始まりません。倉庫の物件を見渡しながら「寺子屋をやろう」と思った時、そんな学習塾でもない謎の場所にいきなり通うような子がいるだろうか、と当然思ったわけです。で、考えてみたのですが、思い浮かぶ子が2人だけいました。どちらも以前半年だけ学習塾で教えた時の女生徒で、その言動の世の中からの「はみ出しっぷり」のゆえに、僕が塾を離れた後も特に動向が気になっていた子達でした。知的好奇心旺盛で非常に感受性も豊かなのですが、通っている学校(ちなみに僕の母校)の教育方針に全く共感できず、「学ぶこと自体には興味あるけど、これじゃない」といった葛藤をどこにも昇華できずに時間とエネルギーを持て余している、といった子達でした。もっとはっきり言えば、方向性が見つかればすごく面白い将来が期待できるけれども、それが見つからなければただの「生意気で厄介な奴」で終わってしまいそうな2人でした。で、当時のその2人がどうだったかと言えば、水鉄砲を持って学校に行って戦争ごっこをするとか、学校裏の城跡に上って格闘シーンの動画を撮影するとか、わざと周囲を不快にさせるような遊びを面白がって続けるとか、いやに戦闘的で挑発的な遊びに耽っていました。つまり完全に後者の方ですね。一言で言えば、クソガキです(どちらも根は繊細でとても優しい子達でしたが)。で、この2人ととりあえず再会したらすぐに「是非」という話になって、本当に寺子屋を始めることになったのです(僕自身はこの事業の必要性も意義も確信していましたが、需要が追いついていないところでわざわざ始めるほどの熱意は正直持っていなかったので、この2人に指導を請われた時点でようやく本気になりました)。
ところでこのように書くと、僕自身が教育というテーマを探求する中で場所と出会い、生徒を探して開業に至ったみたいに見えますが、僕の実感としてはむしろその逆です。その後半年くらい経ってから彼女達に教えてもらったのですが、実は僕が2人と出会った学習塾を辞めてブラジルに旅立って以来、「サカモトが帰国したら必ず捕まえる」計画を彼女達2人の側で立てていて、ずっとその機会を待っていたのだ、と言うのです(まったくもって愛すべきクソガキ達です)。何が言いたいかというと、つまり「寺子屋」というプロジェクトは、僕の主体性と行動力が生んだ結果なのでなく、ある意味この2人の女生徒の「居場所」を求める強い生存本能に引っ張られるような形で僕は帰国し、寺子屋を開く流れになったのかもしれないということです。けっこう本気でそう考えています。なにせ僕自身は実際に始めるまで「寺子屋やろう」なんて現実的に考えていなかったのです。「何かやらせてみよう」と思って場所を貸してくれた知人と、「サカモトを必ず捕まえよう」と思って待ち構えてくれていた2人の高校生と、結局「他者の思い」に引っ張られる形で人生というのは動いていくものなのかもしれないと、妙に考えさせられた一件でした。そんな思いもあったので、僕は誰かに寺子屋の説明をする際、この最初の生徒2人のことを半分冗談半分本気で「雇い主」と呼んだりしていました。
こんなわけで、僕にきっかけを与えてくれた故郷・鳥取の地で2人の生徒を相手に、僕自身も何だか分かっていないような「寺子屋」という職場を自ら創ってそこで働くことになりました。この時点ではまだいつまでやるかも決めておらず、いつでもまた日本を離れるくらいのつもりでいたのですが、その後あまりに熱心に日々自転車で川を越えて通ってくる彼女達の真剣さに打たれて(根負けして)、2人の卒業まで契約を延長することになります。さらに、はじめは高校生しか対象として想定していなかった寺子屋ですが、徐々に幼児・小学生・中学生・大学生、そして大人までが通う場所へと変化・成長していきます。これにはやってる僕もびっくりでした。
長くなってきましたね。第3回はここで終わります。次回予告をしても大抵その通りに書かなそうなので、次回予告するのやめます。ではまた。