8月になりました。先月21日に帰国してから時差ボケやら風邪やらで全く調子が出ませんでしたが、お陰様で時差ボケは完全に治ってきた模様です。ようやく普通に夜寝て、朝起きる生活に戻りました。こうなると不思議なもので、何だかまるでずっと日本にいたかのように感じます。約3ヶ月地球の反対側にいたのがウソのように、つまり文字通り「何事もなかったかのように」寝て起きてご飯を食べて生活している自分がいるのです。いよいよ「帰ってきた」ということなのですが、一方でこうなると逆に、大袈裟でなく「あの日々は夢だったのだろうか」という気になってきます。インターネット(Facebook)を開けば、今回の旅で新たに親しくなった人達の近況を伝える写真が次から次に画面上に流れてきます。あるいは旅の間に撮り溜めた写真を見ると、僕も妻もしっかり写っています。肩を組んだり笑ったりして、いかにも楽しそうです。どうやら本当に現地にいたようです。そして音楽。現地でよく流れていた音楽や、誰かに教えてもらった音楽を耳にすると、様々な情景が確かな現実感と共に脳裏に映し出されます。この記憶が作り物でなければ、繰り返しになりますが、やはり本当に現地にいたようです。こんなこと書くと「何言ってるんだ?ついこの前帰ってきたばかりだろう?」と言われてしまいそうですが、ここ数日、僕も妻も本当にこんな感覚に陥っているのです。
現地では夫婦の会話以外は殆ど日本語を使うこともなく、ポルトガル語あるいはスペイン語で生活していました。言語が変わるとコミュニケーションの仕方も変わります。それだけでなく食べ物も風景も時間の流れ方も、すべてが日本にいる時とは変わります。同じ人間が暮らし生活を営む土地とはいえ、やはりそこは「異郷」なのです。まして地球の反対側。今頃彼らは、この地面を深く深く1万2000km以上掘っていった先に突然現れる世界で、上下逆さまで地表に刺さっているような格好で歩き回って生活しているのです(逆もまた然りですが)。一体どうなってるんだろう?「重力」と言われれば分かった気にはなりますが、「上」も「下」も存在するのかよく分からない宇宙空間にぽっかりと浮かぶこの惑星が、どうも真ん中に向かって何でも引き付ける力を持っていて、そのお陰でみんな地表にしっかりくっついて、ウロウロ移動したり建物を建てたりできるんだと考えると、納得どころかますます不思議に感じます。で、この惑星はいつもぐるぐる回転しているけれど、みんな目を回すことも振り落とされることもなく、無事に地表面に留まっているのです。なんて不思議な世界でしょう。みたいなことを「いい大人」になっても改めて感じて混乱してしまう程度には、地球の反対側に別の日常が存在していることも、他でもない自分自身がそこで足を踏みしめて生活していたという事実も、やっぱり僕には不思議なのです。このまま日本(鳥取)での生活、時間の流れに順応して、日常世界の中に取り込まれていけばいくほど、今では記憶の中の存在となった「もうひとつの日常世界」(旅の経験)の現実感が薄まっていくように感じられて、それが何だか不安や寂しさを掻き立てます。
身体ひとつの人間ひとりである以上、同時に2つの日常の中に存在して生きることは不可能です。何だか選択を迫られているような気になってきますが、どちらも失わないための解決の方法は限られています。異なる日常世界同士を行き来する生活を己の新たな日常としてしまうか、そのどちらでもない狭間の世界に生きるかです。いや、この2つはある意味同じことですね。もっと突き詰めて言えば、やはり以前の記事でも書いたように「自分の時間を生きること」を貫く生活を送るということに尽きるでしょう。
日本の日常性に安易に取り込まれることなく日本社会に関わって生きる。この社会で自分が果たすべき務め(きっと何かあるはずだと信じています)をしっかり担った上で、同時に日常性に抗っていく。日常性にコミットして生きる一方で、非日常的感覚を常に失うことなく生きる。僕の現在の課題はこれに尽きます。仕事もする。生活もする。でも、非日常性を失わない。あるいは僕が知っているもうひとつの世界と確かに繋がっている感覚を保ちながら、この日本の日常性の中を生きる。そんな生活の仕方をするには、いったいどうすればいいのでしょう。
究極の理想は「どこでもドア」かもしれませんが、残念ながら僕は持っていません。それでも現在の現実の中で「どこでもドア」を実現する方法があるとしたら、僕が思いつくものは2つあって、ひとつは単純ですが飛行機です。少なくとも2015年現在までの世界では、これは最も「どこでもドア」に近い道具です。あるいは「どこでもゲート」とでも言えばよいでしょうか。もちろん機体そのものは移動しているのですが、乗る側の感覚からしてみれば、ゲートをくぐって縦長の容れ物の中に入って椅子に座って、寝たり食べたりトイレ行ったり映画観たりしている間に、やがて目的地に到着しているのです。フライト中の大半の時間は飛行機の窓は閉まっているわけですし、これは一種のワープです。雲の上の世界は、ある意味この惑星のワープゾーンということになります。「もうひとつの世界」に直接戻る方法としては、当たり前ですがこの方法が最短です。
それともうひとつ、飛行機とは別の方法で一種の「どこでもドア」を「今・此処」に実現させる方法があるとしたら、それは「書くこと」でないかと思っています。記憶を辿り、その世界を生きた実感を言葉に移し替えて保存していくことです。実は先週からカズオ・イシグロの小説を改めて読み直しているのですが、彼はまさにその「書くことによる、自らの記憶の世界の永久保存」に成功した実例です(具体的には彼の最初の2作品『遠い山なみの光』と『浮世の画家』がそれにあたります)。5歳で日本(長崎)を離れ英国に渡った彼はやがて英国人として大人になるのですが、記憶の中に存在する彼の「日本」がどこかへ永遠に消え去ってしまう前にそれを形にして残したいと願った結果、物語を書くという方法でそれを実現するのです。ある意味飛行機よりも難しいですが、物語の形で永久保存された記憶は、それこそ「どこでもドア」のような機能を持ちます。(あと、イシグロについてもまた改めて書きたいと思います。)
そんなこんなで、時間・記憶・日常性について考えるとキリがありませんが、日常性(帰ってきた日本の生活)の中で非日常性(異郷での旅の記憶)を守るために、少なくとも僕にとっては「飛行機」と「執筆」が鍵になりそうだ、ということを改めて確認したところで、この文章を閉じることにします。方向性が分かれば善は急げです。今夏に予定していた新しい「寺子屋」の場所作りが秋まで延期になりそうなので、夏が終わる前にもう一度飛行機に乗って旅立ってこようと思います。それと、引き続き文章を書く作業を丹念に続けます。やることがわかると楽ですね。秋からの「寺子屋」再出発に向けて今から出来る準備をしつつ、今日も自分の時間をしっかりと生きようと思います。