昔ベンジャミン・フランクリンという人が「Time is money(時は金なり)」と言ったそうです。僕自身は「Time is life(時は命なり)」という考え方なので、この言葉に完全に同意はできませんが、もし彼は彼で「時間ほど大事なもんないよ」ってことが言いたかったのだとしたら、その点は共感・同意します。それでは、もしこの「時・金・命」が文字通りひとつになった世界がやって来たとしたら、それは一体どんな世界になるのでしょうか。そんな問いに対して「映画」という方法で見事に応えてみせたのが『タイム』(原題:IN TIME)という作品です(2011年公開)。予告編がこちらです。
舞台は未来。遺伝子操作によって人類の身体的成長が25歳で永遠に止まり、25歳の誕生日を迎えた瞬間に各々1年の余命が与えられるという生命プログラムが可能になった社会です。この余命はそのまま「通貨」として交換や流通の場で取引されます。つまりこの社会で富める者は事実上の永遠の命を手に入れ、逆に貧しき者は常に24時間未満の余命を手に、文字通りの意味でその日暮らしの世界を必死に生きています。富裕層と貧困層は「タイムゾーン」という形で物理的に居住区を隔てられいる上、地区間の通行料は貧困層の平均余命(残高)では到底及ばない額に設定されているため、実質この境界を越えることは不可能です。これは一種の人口調整政策で、人口爆発を制御しながら不老不死を実現するという、世界の持続可能性と人類の夢(欲)に対する一つの解答であることは間違いありません。ただし、少数の繁栄のために圧倒的多数の命は犠牲にするという前提を必要としますが。
実は僕がこの映画を観たのはつい最近のことです。お世話になっていたブラジルの友人宅で、まだ着いてそんなに時間が経っていない頃に鑑賞したのですが、このことは結果的に、この作品世界のリアリティを痛感する上で大きな役割を果たすことになりました。なぜなら「ブラジル」という場所は、映画の世界と同じく僕にとって非日常性を帯びた一種の「異界」であった上、恐ろしいほどの格差社会が現実にはっきりと目に見える形で存在している場所だからです。
僕がブラジルで毎日のように車で通っていた道には、誰が見ても一目で貧しい地区と分かる場所がありました。またブラジルでは公立の学校や病院はハード・ソフトの両面で大きな問題を抱えているところばかりで、政府はそれらを本気で改善するような動きを見せる気配はありません。貧困層に対しては生活支援金の名の下、教育の代わりに一定額の現金をばら撒いて人気を取り、選挙の票を買うことが常態化しています。貧困から抜け出す分かり易い方法は、男子ならサッカーの才能に恵まれてプロになること、女子なら容姿に恵まれてモデルになることです。あえて極端に言えばそういう特別な才能がなければ、ドラッグに溺れたり犯罪に巻き込まれて終わってしまう未来がいつでもすぐ先で待ち構えているような、大きな危険と隣り合わせの人生になってしまうのです。そしてそうした特別な才能についてもまた、富裕層自身が受益者となるからこそ支援が行われ、花開く結果になるのです。
一方、以前ブラジルの富裕層が買い物に赴くショッピングモールに入ってみた時のことなのですが、そこにはなんと船を売っている店が入っていました。はじめは船をインテリアとして置いたカフェか何かだと思ったのですが、どうやらその船は商品で、店内にはマイアミ(フロリダ半島)の土地や物件を扱う不動産屋のカウンターまで入っていました。その店の一番奥はガラス張りになっていて、そこから下を覗くと貧民街が広がっていました。また、そもそもこのモール自体が貧民街の一角を「片付けて」建てられたものだったということです。
仮に表面だけでも均質性を保ちたがる傾向の強い日本と違い、ブラジルをはじめとするラテンアメリカ社会では社会的格差は圧倒的に可視化されています。それはメキシコでもパラグアイでも、グアテマラでも同じでした。例えばパラグアイでは、首都アスンシオンの国会議事堂のすぐ正面にスラム街が広がっています。政治家達は毎日そのスラム街を見ながら議事堂を出入りするのです。現地のパラグアイ人に色々話を聞いてみると、スラムの住民側も票と引き換えに一定の「権利」を政治家側から引き出しているとのことですが(例えば首都の中心地に近い国会議事堂前に不法居住して電気も上手に安く使うのを「黙認してもらう」とか)、政治家に本気で国を良くする気があれば明らかに別の方法で貧困層に変化を起こせるはずです。
さて、ブラジルを中心にラテンアメリカでの超格差社会ぶりを具体的に書いてきましたが、地球全体で考えたら日本もまた格差ピラミッドの上層に位置する経済大国であり、日本国内においてもこの経済格差・社会的格差は年々広がっていると言われています。元々映画の紹介をしているわけですが、ここまで書いてきたようなことを認識した上でこの『タイム』という作品を観ると、そこに描かれている世界の姿は決して「未来」なんかではないという気がしてきます。
主人公達の決断や行動には、若さもあり青さもあり、稚拙さも不可能性もあります。でも同時にその青さゆえの力とインパクトがあり、可能性もあると言えます。まるで現代世界の鏡であるかのようなこの映画を観て、身の周りの親しい人達と様々な角度で話し合ってみることで、僕らが生きるこの世界の現状と行く末、そして自分自身の生き方や考え方について、視野や行動の選択肢を拡げてみることができるかもしれません。
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