留学の意味と醍醐味について

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海外留学について相談を受けることが多いので、僕の留学観をまとめておきます。結論から言うと、人が留学あるいは旅に出かけることの最大の醍醐味は「従来の世界観が崩壊する体験」です。崩壊という言葉が不安なら「ひっくり返る」と言い換えても構いません。あるいはもう少し簡単な言葉で言えば「昨日までと同じような仕方・態度で世界を視ることができなくなってしまうような体験」です。はっきり言って、この体験を欠くならどんな旅も留学も完全に無意味だとさえ思っています。

僕が留学に関して相談を受ける時、その殆どは「欲しいものを狙った通りに獲得して帰ってくる留学」について語られたものです。語学をマスターするとか、学位を取得するとか。まあ出発前の態度としてはある意味当たり前なんですけど、実際に現地に渡った暁には、そこから更にもう一歩踏み込んで欲しいものです。すなわち、留学の動機そのものが丸ごとひっくり返るような体験に対してオープンな姿勢で生活するということです。語学習得や学位取得といった当初の目的を積極的に放棄しろという意味ではありません。ただ、事と場合によっては結果的にそれらを放棄してしまうということも当然起こり得るし、あってもいいよ、ということを言いたいのです。それは消極的な意味で諦めて投げ出すのとは全然意味が違います(新たな意味や葛藤との出会いもないまま怠慢のゆえに目的を投げ出すのはハナから論外です)。

そもそも海外に留学するということは、言語も生活も習慣も歴史も文化も社会制度も完全に異なる、いわば全くの「異世界」に飛び込むということです。それは逆に言えば、自分自身が「異世界からの訪問者」としてそこで新たに生活を始めるということでもあります。であれば当然、日常生活の何気ない細部に至るまで、自らが育った世界との相違点や共通点への純粋な驚きの機会が無限に隠れているわけです。いわゆる「カルチャーショック」と呼ばれるものですが、「異世界とのコミュニケーション」という表現の方が僕にはしっくりきます。その体験の積み重ねは、それまで自分が疑いもしなかった「当たり前」の世界観の外壁を、少しずつ突き崩していくことになります。あるいは爆弾のように強烈な体験を通じて一瞬で崩壊に至るケースもあるでしょう。いずれにせよ、自ら異世界に飛び込むと同時に異世界が自分の内側に「侵入」してくることを受け入れた人間においては、何らかの意味での「過去の世界観の崩壊」は不可避です。この際に一番勿体ないのは、防衛本能からその崩壊の過程を自ら堰き止めて過去の世界観に留まろうとしたり、「崩壊」を一概にネガティブなものとして捉えて悲観的になってしまうことです。崩壊それ自体は悲劇でも悪でもありません。それどころか、より豊かな世界観の再創造に向けたまたとない好機になります。一度揺さぶられたり崩れたりして、それでも最後まで残るものは自信を持って大事にしていけますし、新たに入ってきたものも、ずっと残るだけの価値あるものかどうか見ていけばいいのです。世界観の再創造には時間・忍耐・胆力が必要ですが、間違いなくそれだけの価値と意味があることです。

留学の最大の醍醐味は、達成でも征服でもなく、変化です。もっと言えば「挫折」という言葉でも何ら差し支えないと思います。「全て思い通りに運んだ留学」なんて現実には殆ど存在しないはずですが、もしそんなものがあったとしたらこれは一種の悲劇です。異世界で暮らしても世界観の揺れが全く起きないというのは、その人の強さというよりは頑なさの証明のようなもので、しかも当人はその悲劇性に全く気付けないという意味で二重の悲劇です。

恐れずに飛び込み、恐れずに受け止め、恐れずに変化してください。その全てのプロセスを楽しめるようになったら、どんな留学や旅もまず「成功」間違いなしです。それは留学前に想像していた「成功」より、もっと豊かで味わい深いものです。