学習に関して質問(相談)を受けることは昔から多いのですが、今日はそれについてひとつ、思っていることを書きます。いわゆる勉強が得意な人と出会った際に学習に関して質問する時、多くの人がする質問がこれです。
「1日何時間くらい勉強していますか?」
つまり学習時間を問う質問です。僕も一時期よく聞かれました。単なる好奇心から出た質問なら特に問題はないですが、もし学習に関する何かのヒントや基準を求めて質問しているのだとしたら、こういう質問をした時点で既にアウトです。「他人の学習時間」に情報としての価値なんてありません。言うまでもなく、問題なのは量的な時間よりもその中身だからです。そこで、もう少し本質的に考えようとしている方はこういう質問をすることになります。
「どんなやり方で勉強していますか?」
つまり学習方法を問う質問です。こちらはより技術的な質問なので、回答の中にもう少し具体的で効果の期待できるヒントや基準を得られる可能性が出てきます。単純にテストの点数を上げるためなら、この質問でひとまず必要なことは引き出せるでしょう。ただし、逆に言えば「点を取るために必要なこと」しか引き出せない可能性も極めて高いです。別の言い方をすれば、技術を高める情報は得られてもセンスを高める情報は得られない質問です。つまりレシピは貰えるけど、そのレシピの作り方までは教えてもらえない、と言ったところです。仮に同じレシピで何か作っても、ちょっとした塩梅の差で微妙に(時に大きく)結果は異なってきます。その塩梅の部分を支えるのがいわゆる「センス」なわけですが、単に「方法(技術)」だけを聞く態度ではそこの部分について有効な回答を引き出すことはまずできないでしょう。そこで、学習に関して本質的なヒントを得るために僕がお勧めしたいのはこの質問です。
「そもそも勉強をどのようなものとして捉えていますか?」
つまり学習時間でもなく学習方法・学習技術でもなく、「学習観」を尋ねる質問です。これが最も有効です。あるいはこういう聞き方でも構いません。
「あなたにとって『勉強』とは?『学ぶ』とは?」
「なぜ、何のために学んでるんですか?」
これらの質問に対して、まずきちんと自分の言葉で答えられるかどうかでその人の思想の有る無しが分かります。例えば、方法論は幾らでも語れるのに学習観を尋ねられると戸惑うようなタイプの人は、「一定のルールのもとで与えられたゲームをクリアする技術」として勉強・学習が得意なだけで、「なぜ」「何のために」学ぶのかを自分自身の頭で考えてきた経験には乏しいということになります。こういう人に学習法を教わっても、得られるのはテストの成績だけでそれ以外には何も残りません。一方、単なる方法論だけでなく、それを支える哲学を持っているタイプ、つまり自分の感性と知性をしっかり使って拵えた学習観を持っているような人ならば、単に方法を教えるだけでなく、なぜその方法なのか、という根本の部分も同じくらい明快に説明できます。大事なのは、この「学習観」の部分で共感できる相談相手・指導者といかに巡り合うかです。学習観がしっかり備わっていれば、それに従って自然と方法や時間は決まってきますし、その内容は各人の状況・文脈・方向性に応じて度々変化します。つまり、時間や方法というのはあくまで何らかの学習観がもたらした結果の産物なので、そもそも容易に変化するものなのです。ですので、学習において成果を上げている人から何かのヒントを得たい場合は、時間や方法を尋ねるより先に、まずその人の学習観について聞いてみるのが最も有効で生産的な問いかけだということを是非覚えておいてください。逆に言えば、ここを面倒臭がる人はまず本質には辿り着けません。というか学習に関して言えば本来ここが一番面白い部分でもあるんです。楽しくて遊び心のある学習観をベースにしていれば、方法も自然と楽しくて遊び心に溢れたものになりますし、硬派な学習観をベースにしたら方法も硬派になります。学習観というのは結局はその人の世界観を反映したものなので、ここで共感・共鳴できるかどうかというのはとっても大事です。世界観の近い人の考え方や言葉というのは、やはり他と比べて明らかにスムーズに入ってきます。というわけで、自らや我が子の学習においてヒントや基準を探している方は、この「学習観を問う」という姿勢を是非取り入れてみてください(この問いかけはスポーツや他の活動でも応用可能です)。単なる学習の話を超えた人間観察にもなるので、きっと面白いですよ。