ゾウくんと算数の宿題をやったら消しゴムの歴史を知った話

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先々週のこと。寺子屋に通う小学3年生のゾウくんの算数の宿題を珍しく一緒にやってみました。内容は時計の読み方とその計算。ある時刻から別の時刻までの経過時間を答えたり、ある時刻から一定時間遡った時の時刻を答える問題でした。ゾウくんは抽象的な世界より具体的な世界が得意で、思考の道具にも言語より絵図・映像を使う方が得意なタイプです。もっと率直に言えば、抽象思考や言語処理は不得手なタイプです(あくまで現在は、ですが)。なので、問題毎に時計の絵を描くことをやってもらいました。これを繰り返すことで、やがて時計を自分の頭の中で素早く映像化して、かつ自由に針を動かせるようになることを期待しています。あとは問題文を毎回丁寧に音読すること。算数の問題文は長さが短いので、国語で出てくる文章と比べて精神的な負担が殆どありません。さりげなく音読練習をしてもらうための材料としてなかなか有用です。ま、そんな感じで一緒に何問か解いていったのですが、やはりレゴやお絵描きに比べると根気が続かない様子。そこで、いったん問題解きをやめて会話を始めました。こんな感じです。

「ゾウくんは国語や算数より理科や社会の方が好きなんだでな?」
「うん」
「国語や算数は理科社会と比べるとあんまり面白くないんだでな?」
「うん」
「それ何でか自分で分かる?」
「ううん」
「何でだと思う?」
「わからん」
(※鳥取弁単語「だでな?」=「だよね?」)

これは、少し難しい言葉でいうと「メタ認知」ということをやるための会話です。メタ認知というのは、簡単に言えば「自分がどうしてこう考えるのか」あるいは「自分はどうしてこういう行動をするのか」ということ自体を客観的に認知(把握)することです。これができると、自分の思考・発想・行動の元のようなものが自分で理解できるので、スッキリします。個性の自己把握というのはとても大事です。

ちなみにゾウくんという少年は、今よりもっと幼い頃から一貫して職人を目指しています。具体的には家具を作ったり、店舗内装をしたりする仕事です(最近は映像制作にも少し興味が出てきた模様)。学校ではどうしても言語的な情報処理の時間(国語算数など)が多く、図画工作の時間は少なくなりがちなので(しかも学年が上がるほど机上の勉強の時間が増えていきます)、寺子屋では図工系の作業やトレーニングを多めにやってもらっています。彼は元々豊かな想像力の持ち主なので、まずはそれが潰れないようしっかり守ってあげて、その上でさらに伸ばしていくきっかけと場所を確保するのが仕事です。なので、国語や算数もとってもとっても大事ですが、特に彼を指導する上では順番としては一番には置かないことにしています。だいたい人間って、夢中になれる目的に対する必然的な手段になったものは、大抵やります。つまり彼の場合、特に図画工作系の素質を伸ばしていく中で言語処理や数的処理が必然的に必要になった段階で(そしてその時は遅かれ早かれ必ずやってきます)そういう能力をしっかり身につければいいと思うのです。別に国語や算数はやんなくていいという意味ではありません。あくまで「今できる範囲でしっかり」以上の要求はしないということです。だから「大事な算数の宿題」をやっていても、根気が限界を迎えそうになった時点でこちらから話題や方向を変えます。「これ以上やらせると苦手意識がさらに上回る」と判断した時点で即時撤退です。逃げの兵法です。

で、前述したような会話を始めたわけですが、当然本人は自分の好みの根源を言語化することはできません(そんなの大人だって大抵はできません)。このメタ認知の部分をいかに周囲が助けてあげるか、というのは教育の大きな役割だと思います。そこで、彼に少し解説をしました。大体こんな感じです。

「あんな、ゾウくんが国語や算数を苦手だと思うのには理由があってな。で、社会や理科の方が面白いのにも理由があるんよ。知りたい?」
「うん」
「ゾウくんはな、実ははっきり見えて手で触れる世界のことの方がよく分かるし得意なんよ。実際に動いとるものの世界っていうか。自分で気付いてないかもしれんけど、そっちの才能の方が強いけえ(強いから)、逆にそうじゃない方はちょっとつまらんく感じるんかもしれん。国語は字で書いてあるし算数は数字で書いてあるけど、字や数字はある意味『モノ』じゃないけえな。目の前で動いとるわけじゃないし。つまりある意味存在してないようなもんだけえ、そういうのははっきり言ってよく分からんのかもしれん。でも、それはそれで一つの感覚としては正しいことでもあるんよ。だって例えば頭の中にしか存在せんことってのは、ある意味存在してないけえな。だけえ(だから)それはそれで一つの感覚として間違ってないと僕も思う。」

ゾウくんは一生懸命聴いています。で、こんな感じで続けました。

「だけえ例えば、そうだなあ。今鉛筆や消しゴム使ってノートに問題解いとるけど、その問題解くよりも、まずこの鉛筆とか消しゴムとかが一体どっから来てどういうことをやったら鉛筆や消しゴムになってゾウくんの元に届いたか、とかの方が多分興味あるでなあ?まずこの消しゴムって何なんだ、みたいな」

ここでゾウくんが大きく頷きました。なので調子に乗って続けます。

「この消しゴムってどこから来たか知っとる?ていうか元々何でできとるか知っとる?謎じゃない?これ分かったら面白くない?」
「うん」
「だでな。知りたい?」
「知りたい!」
「じゃあとりあえず算数置いといて消しゴムの勉強しよっか?」
「うん!」

こういうわけで、算数は一旦置いといて、消しゴムの生産過程や歴史について学ぶことになりました。するとすぐ近くでレゴの課題に取り組んでいた小学1年生の弟コウモリ君が、好奇心いっぱいの目で立ち上がってこちらにやって来ました。これでOKです。別に狙ってこうなったわけじゃありませんが、興味を持って自分から走ってきたなら、そのまま一緒に学んじゃうのが一番です。知りたいことを進んで楽しく学んで、それで昨日の自分が知らなかった世界と出会えるなら、素晴らしいことです。何だか思ったより長い話になったので、ここでひとまず一区切りとします。この続き、つまり消しゴムの話も面白かったのでまた書きます。