WhatsApp万歳

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WhatsAppというアプリがあります。スマートフォン向けメッセンジャーアプリとして世界最大のものです。日本国内で圧倒的なシェアを誇るLINEと同じようなアプリなので、とりあえず「LINEの海外版」と思ってもらえたらいいです(実際の順序としてはLINEが「WhatsAppの日本版」って言った方が正確ですが、この話においてはとりあえず伝われば何でもいいです。ちなみに韓国ではKakao Talkというメッセンジャーアプリが一番使われてます)。

前回の記事でもちょっと書きましたが、僕はこのWhatsAppをインストールしたいがために3年ぶりにスマホを買ったと言ってもいいくらい、このアプリを必要としていました。今年7月に約3ヶ月の南米滞在から帰国してからというもの、スペイン語・ポルトガル語を操るラテンアメリカ版の自分というのを、何とか自己の人格内に保存し続けようと試みていたのですが、やはりこうも環境が違うとなかなか難しいものです。少しずつ日本語版の自分に取って代わられてしまって、気がつくとあの南米にいた自分は遠く地球の反対側に行った時だけ存在する別の自分みたいになってしまったのです。実は海外にそれなりの期間滞在すると、毎回これに苦しみます。向こうにずっといたらいたで日本版の自分が居場所を求め始めたりすることもあるし、どうも僕という人間は日本と海外(主にラテンアメリカ)に片足ずつ置いて生きるくらいがちょうど心地良いようです。つまり手っ取り早いのは、定期的に行き来しながら生活するということです。しかし一方で人間一人の身体一つですから、要はどちらにいても両方(日本と海外)の自分をバランス良く保てるようになればそれが一番良いわけです。

そこで僕が期待していたのが、スマホとWhatsAppだったのです。ラテンアメリカではメッセンジャーアプリと言えば完全にWhatsAppなので、単純に通信手段としても、持っているか持っていないかで向こうの人間との連絡のしやすさが決定的に違ってきます。実際連絡をマメに取り合うことが必要な相手も何人かいました。特に仕事関係においては、ラテンアメリカ人はこちらがきちんとルートを確保しておかないと結局放っておかれてそのままになってしまいかねないので、たかが通信アプリと思って侮れません。

そういうわけで遂にスマホを契約しWhats Appをインストールしたのですが、これが本当に僕の日本での生活を心穏やかなものに変えてくれました。たとえば僕はメキシコに妹が2人と母が1人いるのですが(女3人で暮らしている一家で、メキシコにいた頃、僕はこの家に息子として迎え入れられました。血の繋がりはありませんが、紛れもなく僕にとって大切な家族です)、この2人の妹といつでも気軽に連絡を取り合えるようになりました。通信アプリと言えばFacebookメッセンジャーでも同じように連絡は可能ですが、WhatsAppの方がよりパーソナルで近いところにいる感覚になります(主観的な意見かもしれませんが、おそらくはアプリの設計・コンセプトの違いが生み出す差だと思います)。それにスマホなので、これまで使っていたiPod touch(Wi-Fi環境のみネット接続)と違って本当にいつでも繋がっていられるのです。これは本当に嬉しいです。

嬉しいことは他にもあって、2010年9月に帰国して以来丸5年まともに連絡を取れていなかったメキシコ時代の大親友と、WhatsApp電話で遂に声を聴いて話ができたのです。彼は僕が働いていたタコス屋台の店主なのですが、向こうで暮らしていた頃は文字通り毎日毎晩顔を合わせて色々冗談を言い合ったり人生を語り合った仲でした。年は10歳以上上だったと思いますが、紛れもなく僕が1年のメキシコ生活で出会った中で一番の大親友でした。その彼と遂にいつでも連絡が取り合えるようになったのです。5年ぶりに声を聞いたときは思わず涙が出そうになり、電話を切った後、実際に溢れて止まらなくなりました。それは今年の一番嬉しい出来事のひとつでした。その後、家で妻と一緒にタコスを作って食べた時には、彼に写真を送りました。これもWhatsAppというアプリの気軽さのお陰です。特に彼はFacebookはじめSNSが苦手で殆ど使っていないので、このアプリがなかったらこんなに気軽に連絡を取り合うことはきっとできなかったと思います。

そういえば最近もまた一人、WhatsAppがきっかけでメキシコ時代の大切な友人と連絡が繋がりました。同性の友人では前述のタコス屋店主のレオナルドが一番の親友だったのですが、異性でも短い間ながら深い絆を育んだソウルメイトのような友人が一人いて、彼女とも5年ぶりに電話で話をしました。お互い電話が繋がった瞬間は感無量で暫く言葉が出ませんでしたが、いざ改めて繋がると5年の歳月が一瞬に感じられます。考えてみれば彼女ともお互いSkypeやらFacebookやらで連絡を取ろうと思えばできたのですが、なぜかそういうことにはならず、結局この度WhatsAppを入れたことで一気にまた距離が縮まりました。彼女はベルギー人で現在コスタリカに暮らしているのですが、「日本かコスタリカかメキシコか、あるいは世界のどこかで必ずまた会おう」が現在の合言葉になっています。お互い連絡を取っていない間に結婚もして人生の変化も経験しているので、積もる話がたくさんあります。

この他にも、妻のメキシコ時代の一番の友達とも約1年ぶりにじっくり電話で話したり、あるいは今年滞在したブラジルやパラグアイの面々とも連絡を取り合ったりだとか、僕ら夫婦にとってかけがえのない人達との繋がりが、いつでも気軽にコミュニケーションできる形でしっかりと生きています。思うところあってスマホを持たない生活を数年続けていましたが、逆にその時間があったからこそ、今のこのインターネットを通じた彼らとの繋がりが余計に有難いものに感じられます。地球の反対側、あるいは太平洋の向こう側の人達と、こんな風に「当たり前のように」繋がれることがどれだけとんでもないことか、スマホのない生活をずっと送っていたお陰で実感が半端じゃないです。

もうひとつ、結局こうして各国の友人達といつでも電話・通信ができることで、日本にいても常に多言語状態で生活できるようになりました。ポルトガル語で電話した直後にスペイン語で電話したり、あるいは日本語のメッセージを送った直後に英語のメッセージを別の友人に送ったり、ということを、机に向かって開くパソコンでなく常時携帯しているデバイスでやれているというのは全然違います。スマホの基本設定言語も現在はスペイン語にしていますが、これも気分と必要に応じて変えます。このように生活していると自分の中のどの言語の自分も消えずに(あるいは死なずに)済むので、これがとにかく楽です。変な話ですが、精神的にすごく安定します。

さらに言えば、このWhatsAppのお陰で、ラテンアメリカを相手にした仕事の話もよりスムーズに動くということがありそうです。そう考えると、やはり現代はスマホの時代ですね。

というわけで、ちょいと嬉しさ余って長くなってしまいましたが、スマホ購入と共にインストールしたWhatsAppというアプリが、いかに僕の人生に豊かさと安定性と可能性をもたらしてくれたかという話でした。スマホは本当に便利ですね。WhatApp万歳。

ただ、前回と同じことを最後に言いますが、逆にスマホどっぷりで疲れてしまっている方は、是非スマホ無し暮らしを思い切って始めてみてください。僕も当時iPhone持ってたので、解約後のデメリットとか不便とか色々考えましたが、最後は勢いで解約しました。で、いざ無くしてみると、やはり殆ど問題なく気持ちよくやっていけるものです。多少の不便さはありましたが、代わりに得たものの大きさと豊かさに比べたら微々たるものでした。3年間のスマホ無し生活は、今思い出しても自分の人生には間違いなく必要で、かつ素晴らしい時でした。オススメです。