歴史とは何か、小学生に聞いてみる

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前回に続いて、お馴染みの寺子屋3兄弟、シャチ君ゾウ君コウモリ君の話です。3人とも、先月上旬に生まれて初めて広島の平和記念公園および原爆資料館を訪問してきたという経緯もあり、その後の寺子屋でも数回にわたり戦争の歴史や原爆・核兵器等について取り上げ、掘り下げていました。そしたら彼らに続いて米国のオバマ大統領も27日に広島訪問を行ったので、その翌日の寺子屋で、彼ら3兄弟にまずこう問いかけました。(※オバマ氏の広島訪問そのものについては、感慨と違和感と今後への期待といった幾つかの所感を個人的には持ちましたが、それについては別稿に譲ります)

「昨日、日本の歴史の中でも結構大きな出来事になりそうなことがあったんだけど分かる?」

6年生のシャチ君はすぐにピンと来たようで即座に「はいっ!」って挙手したので、そのまま答えを聞かずに「はいシャチ君正解!」と伝えて黙っててもらいます。一方、他の2人(4年生&2年生)は何のことだか全く分からない様子。さてここからどう糸口を見つけていこうかなと思った矢先、コウモリ君が「分かった」と言いました。「お!何?」と彼に振ってみます。

「赤ちゃんが喋った」

「?!」

一瞬驚きましたが、もしやと思い彼に尋ねてみます。

「もしかしてコウモリ君、うちの赤ちゃんのこと?」

「うん」

どうやら先月生まれた僕の子供に関するニュースだと思ったようです。生後1ヶ月もないからまだまだ喋れないんだよ、という事実と一緒に「赤ちゃんのこと気にかけてくれてありがとう!」と心からの感謝を伝えた上で、「まあもしも喋っとったとしても、『日本の歴史の中でも大きなニュース』みたいな言い方はちょっとできんなあ」ということも併せて補足しました。その時です。自分の言葉を自分で聞きながら、ふと或ることに気が付いたので確認してみました。

「あ、ちょっと待った。コウモリ君、僕さっきから『日本の歴史』って言っとるけど、『歴史』って何か分かる?」

こう尋ねてみると、一瞬考えて「分からん」とコウモリ君。やっぱり。これは僕の明らかなミスです。尋ね方がアンフェアでした。そもそも「歴史」という言葉が意味するところをキャッチできない以上、こちらの問いかけに対しても「何かよく分からんけどビッグニュース」みたいな受け取り方しかできない訳です。そこでうちの赤ちゃんのことを思い出してくれるのですからその優しさにはホロリときましたが、この機会に「歴史」という概念について簡単に押さえておくことにしました。6年生のシャチ君は既に学校で「歴史」を習っているでしょうから、敢えて4年生のゾウ君に尋ねてみます。

「なあゾウ君、『歴史』って何か分かる?」

「うん、分かる」

「よっしゃ!じゃあちょっとコウモリ君に歴史って何か説明してみてあげて」

それから待つこと数秒。彼なりに一生懸命考えてくれた上で、僕にこう伝えてきました。

「分かるけど、何て言ったらいいか分からん」

なるほど。

こういう時、相手や状況によっては「それは要するに分かってないってことだよ」と冷たく宣告します。たとえば受験を控えた中高生なんかだと「適切に言語化できて相手に伝わって初めて正解」という試験の世界で実際に勝負しているわけですから、そんな甘い態度は認めるわけにいきません。あるいは大人でも子供でも、雰囲気で何となく「わかったつもり」なのにちゃんと分かってるものと錯覚しているような時にも同様の指摘をします。でも、このゾウ君の場合はそのどちらでもありません。彼とはかれこれ2年以上の付き合いですが、通い始めた頃は言葉を使うのがとっても苦手で、小学校低学年にして強い劣等感さえ持っていたような子でした。しかしながらよくよく観察すると、彼は言語表現は確かに不得手だったのですが、造形による芸術表現のセンスや発想力、これと決めたことに対する忍耐力は逆にズバ抜けたところがありました。そういう彼ですから、単に言語表現が苦手というよりは、その豊かな感受性で色々な情報をキャッチしたり想像したりしているため、余計に言葉が追いつかない感覚になってしまっているというのが実情のようで、実際に本人に確認したらやっぱりそうでした。伝えたいことは色々あるのにうまく言葉にならないから諦めてしまう、ということが多いようで、それってなかなか辛いことです。なので、今回みたいに彼が真剣に言葉で表現しようという姿勢を見せてくれた時には、逆にこちらが歩み寄ってフォローすることが必要です。そこで彼にもう一度尋ねてみました。

「ゾウ君、うまく言えんかもしれんけど多分それ本当に分かっとるんだと思うんよ。でも、あんまりちゃんと言葉にしようとすると難しいかもしれんけな、とりあえずざっくりこんな感じ、みたいな言い方でいいけえ、ゾウ君なりの言葉で言える範囲で『こんな感じ』っていうのを、ちょっと言えるだけ言ってみてくれん?」

更にもう少しだけ考えるゾウ君。すると間もなく、ゆっくりとした口調でこう答えてくれました。

「……何か新しいことをして、それが未来になって残っとる感じ」

「!!!!!!!!!!」

何という衝撃的な答え。何というか、こちらの期待を遥かに超越したレベルで、しかも完全に正解じゃないですか!!!そんな説明の仕方があったのかと逆にびっくり。もはやこっちが教わってる気分になるような回答です。即座にゾウ君本人にその旨を伝え、もう圧倒的に誉め倒しました。なるほど、歴史ってそういう捉え方があったわけですね。いやー思いつかんかった。ありがとうと言いたい気分。

というわけで大人の皆さん、よろしいでしょうか。9歳の少年ゾウ君の解釈によると、歴史というのは以下のような感じのものだそうです。

誰かが何か新しいことをして、それが未来になって残っとる感じ

もちろんこれが唯一の正解ではないですが、「歴史」というもののひとつの捉え方としては極めて優れた感覚でないかと思います。

「◯◯とは何か」みたいな本質的な問いって、一見すると小学生には難しいように感じられることもあるかもしれませんが、尋ね方とフォローの仕方次第で、少なくともその時点でのその子なりの感覚を言葉にしてもらうことは充分にできます。何より、こういう問いかけに幼い頃から親しんでおくことで、自分の頭でものを考え、自分の言葉で語る習慣が身につくんじゃないかなとも思うわけです。もっと言えば、それを聞く大人の方も、固定観念が瓦解するような気持ちの良い衝撃を得られること請け合いです。その衝撃は、知らぬ間に固くなっているこちらの頭を柔らかくしてくれるものです。

次はどんな驚きに出会えるかしら。

以上、『歴史とは何か、小学生に聞いてみる』でした。