「座右の銘は何?」と聞かれても大して浮かんでくる言葉はないのですが、自分でも特に意識せぬ間に座右の銘にしてきた言葉は、考えてみればいくつか思い当たる節があるような気がします。少なくとも「人生一回」という言葉は、この10年間において間違いなくそのうちのひとつでした。21歳だった10年前、学生スタッフとして参加していた教育事業のリーダー(当時25歳)がある時期、口を開けばその言葉ばかり発していたのがきっかけです。「人生一回だぞ」「人生一回だからな」等、言い回しは色々あったように思いますが、ともかく二言目には「人生一回」。思わず二度寝しかけた朝も、「おい、人生一回だぞ」という一声でハッと目を覚まし飛び起きていたくらい、彼は当時実際にこの言葉を生きていました。だから僕の心にも響き、強く残ったのだと思います。彼自身が「人生一回」を直接口にする回数はやがて少しずつ減っていきましたが、僕の中にはこの単純な言葉が深く強く刻印されていました。「人生は一度きり」みたいな台詞なんて、それ以前にも幾度となく色々な人の言葉として見聞きしていたように思うのですが、おそらく彼との関係性や自分自身のタイミングも含めて、あの時の僕にはピタッとハマったのでしょう。
それから10年。自分自身の人生に向き合う時はもちろん、教育者として生徒に相対する時も、相談相手として誰かの人生に関わる時も、「人生一回」が僕自身の口癖になっていました。それくらい、この言葉は僕の内側で深く根を下ろし、ことあるごとにパッと脳裏に映し出されていたのです。このことが僕の人生に及ぼした直接の影響が実際どれほどのものかは、なかなか自分ではわかりません。けれども、あらゆる人生の選択において少なくとも毎回「人生一回」と覚悟しながら向き合ってきたことは、もともと横着で行動力に乏しい僕の生の在り方を、自然状態に任せるよりは遥かにマシなものへと変えてくれたように感じています。
というくらい、丸10年もの間「人生一回」という言葉のお世話になってきた僕ですが、2016年7月1日(つまりほんの3日前です)、この言葉を無期限に封印することにしました。
その日、5月1日に誕生したばかりの自分の子供(第一子)が、たった2ヶ月の間に見違えるように成長している事実を目の当たりにしました。誕生した瞬間の写真を見返すとほとんどE.T.(宇宙人)みたいな顔をしていた我が子が、僅か2ヶ月後には完全に自分たちと同じ人間の顔になっていて、ぶかぶかだったベビー服も良い感じのサイズになってきているわけです。その時の流れを想ううちに、ふとこんな考えが浮かんできました。
この一瞬で過ぎ去った2ヶ月が6ターンでちょうど1年。60ターンで10年。180ターンで30年。つまり、この矢のように過ぎる時の単位が200回も繰り返されないうちに、現在31の僕は還暦を迎える年になっている。それに7月に入ったことで、2016年は既に半分が過ぎ去った。振り返ってみれば一瞬だったこの半年という月日が2セットで1年。20セットで10年。60セットで30年が経ち、僕は還暦を迎える。
別に「還暦」という言葉にこだわっているわけではないのですが、自分の父親の64歳という年齢を考えると、そこまで辿り着くまでの時間というのは僕が過去に漠然と想像していたよりも恐ろしく短いな、という意味で深く感じ入ったのです。今は父が迎えている人生の時をやがて僕が迎えるまで、時間はあるようで殆どないのではないかと、それが今までになくリアルな感覚で想像されて、身震いがしたのです。子供の成長を見ている間に、僕も加速度的に老いていくのだろうと。
人生、一瞬じゃん。
そう思った時にふと、これまで10年間自分に言い聞かせ続けてきた「人生一回」という言葉の感触が、何だかとても物足りない、漠然としたものに変わっていきました。「僕の人生は他ならぬこの人生しかない、この一回しかないんだ」という「強い想い」をそれなりに持っていたつもりでしたが(もちろん本当に一回かどうかは実際に死んでみないと分かりませんが、だからこそ一回だと思っていた方がよいわけです)、その一回きりの人生がどれほどの速度で過ぎていくかという部分に対しては、まだまだ、まだまだ、想像が及んでいなかったわけです。それを認めないといけません。
人生は、一瞬だ。
この一言が、それはもう今までに経験したことがないような震度で自分の魂の内に染み入り、そして響き渡りました。「人生一回とか悠長なこと言ってる場合じゃない、その一回が一瞬で過ぎ去ることこそ問題なんだ」と。
何だか書けば書くほど馬鹿馬鹿しくなってくるくらい当たり前のことを言っていますが、その「当たり前」の内に潜む強烈なリアリティが問題なのです。「人生一回」なんて甘かった。これからは「人生一瞬」という言葉を生きよう。
そんなわけで、その夜、僕は自分の日記帳に思わず10回「人生一瞬。」と書きました。
ついでにツイッターにも久しぶりに書き込みました。
先月末まで約10年間、「人生一回」という言葉を常々意識して生きるよう努めてきたけれど、今月からやめることにした。その一回の人生が如何に一瞬で過ぎ去るのかということに、以前は持てなかったような実感と共に想像が至ってしまった。よって今月からの座右の銘は「人生一瞬」。ほんと人生一瞬だ。
— Taka Sakamoto (@grantottorino) 2016年7月4日
さらに今こうしてブログにも同じことを書いています。全てはこの「人生一瞬」という、当たり前かつシンプル過ぎてそのリアリティを内面化・血肉化するのが極めて困難な一言を、自分自身に徹底的に意識付け、やがて無意識付けるためです(「無意識付ける」って言葉今思いついて初めて使いましたけど、悪くないですね)。
というわけで、本ブログでも10回書くことにします。
人生一瞬。人生一瞬。人生一瞬。人生一瞬。人生一瞬。
人生一瞬。人生一瞬。人生一瞬。人生一瞬。人生一瞬。
(当たり前ですが、コピーして貼り付けずにちゃんと10回書きました)
まだまだ足りない。でも少なくとも僕はもう二度と「人生一回」なんて甘いことは言いません。そんな当たり前の当たり前を抜かしてる場合じゃない。「人生一瞬」という、もっと恐ろしくて衝撃的な「当たり前」と向き合いながら、この地上で許された生の時を命燃やして全力で駆け抜ける。あるいは歩き通す。人生一瞬。人生一瞬。まずはこの夏。一瞬という言葉にもならないほどの瞬きのような速さで過ぎていくであろう、この夏です。31歳になった僕が今の父親の年齢に達するまでに、もう夏も30数回しかないのですから。
人生一瞬。
人生一瞬。
人生一瞬。