学校教育が与える3つの「能力」とは

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面白いインタビュー記事を見つけました。

女性装の大学教授」として有名になった安冨歩教授のインタビューです。僕が大学に通っていた当時から実は同じキャンパスにいらしたのに、結局一度もお世話になることなく(というか存在を認識せぬまま)卒業し、友人の勧めで昨年初めて知って著書を拝読しました。在学中に授業の一つも履修しなかったことを残念に感じるほど、その鋭い社会分析・人間分析は読んでいて大変痛快で深く共感できる点が多く、是非皆さんにも知っていただきたくてこの度ブログでご紹介することにしました。

さて、上にご紹介したインタビュー記事は、日本社会における人生の息苦しさの正体についての鋭い分析です。安冨教授は、「目に見えない抑圧・暴力」と「罪悪感」こそがその「正体」であると看破します。その内容の全てをここで引用したいくらいなのですが(是非全部読んでください)、今回のブログ記事では特に「学校教育」について語られた部分に絞って抜粋・紹介します。自分の生活や人生において何かがうまくいかず苦しさを感じる時に、この国の多くの人が「こんなこともできない自分が悪いんだ」という罪悪感(自責の念)に駆られてしまうと指摘した上で、その大きな原因(元凶)が教育にあると安冨氏は語ります。教育といっても家庭教育・学校教育の両方について彼は語っているのですが、前述したように、ここでは特に「学校教育」について語られた部分のみ引用します(的を絞らないと話が無限に広がってしまうので)。以下がその内容です。

学校教育というのは、教わることの意味が分からないように構成されているんです。例えば、理科の教科書を開くと、最初にニュートン力学があって、次に気体・液体・固体の話があって、次に気象の話が出てきたりする。あれは物理学から見れば、滅茶苦茶な構成なんです。それぞれ前提条件が全然違うから、全く別世界の話。それを一緒くたにされたら、誰だって理解できるはずがないんです。

でも、子どもたちは1つのセクションを2週間程度で学習しなくちゃいけない。理解できないものを、理解できないまま、「こういうものなんだ」と思い込まされる。これが蓄積されていくと、「理解できない私が悪い」という罪悪感が育ってしまうんです。

もちろん、中には習ったことをちゃんと答えられる子もいる。でもね、それは、分からないまま答えているんです。分からなくても、無理矢理飲み込んで答える。それができればテストでいい点が取れるから、そういう子は「優等生」と言われます。

でも、「理解できない」と言えば、「ダメな奴」と言われる。こういう環境に子どもを閉じ込めて、10数年間も勉強させることを、日本社会では「教育」と呼んでいるんです。

このプロセスを経ると、次の三つの能力が身につきます。「難しそうな話が分からなければ、それは自分が馬鹿だからだ、と思う能力」と、「訳が分からないけれども、答えてみせる能力」、そして「大人しくじっと座り続ける能力」です。

(※太字は一部、引用者による)

いかがでしょうか。僕は率直に言って、この意見に全面的に賛成です。簡潔にして核心を鋭く突いた分析で、お見事という他ありません。

安冨氏のインタビュー、本記事冒頭のツイートのリンクから原文にアクセスできますので、是非全部読んでみてください。それではまた。

追伸

本記事トップの画像は、「教育」について多くを考えさせてくれる世紀の傑作映画『きっと、うまくいく』(原題:3 Idiots)のワンシーンです。個人的に近年で最も衝撃と影響を受けた作品であり、僕は今のところ、天国であれ無人島であれ刑務所であれ、一本だけ映画を持っていくことが許されるならこの一本を持っていくつもりです。ご興味のある方は下の画像をクリックの上、是非購入を検討してみてください。一家に一本持っていて損はない作品です。特にお子さんをお持ちの方や、中高生・大学生は是非。あと、自分の人生を生きることに迷う全ての人にも、是非。