『働きマン』というマンガがあります。講談社から出ている作品で、ドラマ化、アニメ化もされているのでご存知の方も多いと思います。簡単に内容を説明すると「仕事をめっちゃ頑張る雑誌編集者の話」で、「主人公を取り巻く様々な人々の働き方・仕事観も見所」という作品です。この作品が中国語圏でも翻訳されているということを、約1年前に以下のツイートで知りました。
「働きマン」って中国語だと「工作狂人」っ訳すのか… なんかやばい#工作狂人 #働きマン #安野モヨコ pic.twitter.com/xQJ0y1DfY4
— 塩谷 舞(しおたにです!) (@ciotan) 2015年6月24日
「働きマン」=「工作狂人」。これはなかなか面白い。で、このツイートを見た瞬間、ふと思いついて僕が投稿したのが以下のツイートです。
これをさらに日本語的に再翻訳すると「労働狂人」か。何だかオブラートが剥がれて本質が剥き出しになったみたいで、日本の現実を見事に表してる気がする。そして、海外の知人友人の多くが日本人に対して抱いているイメージも、まさに「労働狂人」。 https://t.co/QQSELlCuus
— Taka Sakamoto (@grantottorino) 2015年6月24日
中国語の「工作」は「仕事」を意味しますから、素直に再翻訳するなら「仕事狂人」とした方が正確かもしれませんが、この時は「働きマン」という原題のニュアンスも尊重した上で、よりインパクトのある「労働狂人」という訳語を選びました。まあどっちも似たようなものか。
いずれにせよ、翻訳ってこういうところが面白いですよね。特に同じ漢字文化圏の中国語に訳すと、日本語では婉曲的に表現されていたりする部分が思い切り前面に出てきたりするので、なかなか衝撃的だったりします。そして今ご覧になったように、その訳語を更に日本語に再翻訳すると、その言葉の本質を一気に引っ張り出せたりもするというわけです。せっかくなので、もう一度大きな字で書いてみます。
労働狂人。仕事狂人。
そんなニッポン人。
あ、一言余計でしたね。でも前傾のツイートにも書いたように、少なくとも僕の周りの海外(割合としてはラテンアメリカが多いですが、わりと色んな国や地域)の友人達の多くが、日本人一般に対してまさにそういう印象(イメージ)を抱いているというのは紛れもない事実です。
ひとつ誤解のないようにお断りしておくと、「労働狂人」「仕事狂人」であることが一概に「悪」だとか「駄目」だとか、そういうことを言いたいのではありません。こういう物事というのは何事も一長一短で、仮に日本人という国民の多くが実際に「労働狂人」だったとしても、そのことによって得ているものと失っているものの両方が存在するわけです。例えば今の日本社会において達成されている幾つかの有難い状況も、多くの先達が文字通り「狂ったように働いてきた」ことが実を結んだ結果だと言うことは可能でしょうし、逆に幾つかの悲劇がまさに同じ要因によるものであることも指摘できるでしょう。狂っていようがいまいが、あるいはどんな方向に狂っていようが、大事なのはそのことによる「得点」と「失点」の両方を適切に見極めた上で、最終的な「得失点差」についてしっかりと検討することです。これがあまりにマイナスなら何らかの変化を起こす必要がありますし、逆に総合的にはプラスということであれば、現状維持を軸にして細かな改善を行っていけばよいだけです。
その上で、僕自身は現在の日本社会において「労働狂人」モデルは遥かに失点(弊害)の方が大きいと感じているので、この社会にラテンな味付けを加える方向に「狂って」いるところです(もちろん多くの「労働狂人」と同様、僕自身に「狂っている」という自覚はありません)。あるいはもう少し違う視点も入れるならば、ある人が結果として「労働狂人」に見えていたとしても、その中身が冷静な現状認識・自己認識に基づく主体的意思決定に支えられたものであれば、他者にも同じ態度を求めたりしない限り、特にあれこれ言う気はありません。ただ、自分の頭で考えているつもりでも実は全く考えられていない「従順狂人」(従う対象は何であれ、狂ったように従順に生きる人)の成れの果てとしての「労働狂人」の皆さんに関しては、今すぐ生き方や人生観を見直した方が本人の幸せにも社会の幸せにも繋がるよと言いたいです(これについて詳述するとそれだけでまた長い文章になってしまうので今回はこれ以上書きませんが、個人的には「労働狂人社会」であることよりも「従順狂人社会で」あることこそ、この国の社会の最大の病理のように感じています)。
ひょんなことから「発見」したこの「労働狂人」「仕事狂人」という言葉には、現代日本社会における人間の在り方に関するひとつの事実が端的に現れているように感じるのですが、いかがでしょうか。日本社会で働いて生きる誰もが、一度は向き合ってみる価値のあるテーマだと思いますので、是非皆さんも考えてみてください。
それではまた。
【サカモト書店より】
今回のテーマについてじっくり考えてみたい方のために、非常に興味深い本があるのでご紹介します。そのものズバリなタイトルで、
という本です。表紙がこちら。
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日本人が「仕事」というものをどう理解し、また実際にどう向き合い、実践してきたか。また日本社会における「仕事」の在り方はどのように変遷してきた結果、現在の状態に至ったのか。「仕事」と日本人との関係性を歴史的に紐解いていく一冊です。また同書の冒頭では、まさに今回ご紹介した『働きマン』についても言及がなされていますので、そういう意味でも今回是非オススメしたい一冊です。「仕事」についてちょっと深く考えてみたい日本人の方には、もう間違いなくお勧めです。是非上の画像リンクをクリックの上、ご購入を。あるいは地元の頑張る本屋さんをサポートしたい方は是非、その店に走ってご購入を。とにかく、この本に関しては圧倒的にお勧めです。
著者の武田晴人氏は東京大学の経済学部で教授をしていた方で(昨年退官されていたことをWikipediaで今知りました)、実は僕がこの本と出会ったのは武田教授の講義を履修したのがきっかけでした。僕は文学部所属だったのですが、せっかくだから他学部の講義も覗いてみようということで、経済学部や法学部などの講義もチェックして、面白そうなものを幾つか履修してみたのです。このブログを読んでいる大学生の皆さん(つまり教え子諸君、君達のことです)に言いたいのですが、せっかく大学に入学した以上は、必ず自分の専攻分野以外の講義やゼミも積極的に履修してみて下さい。全く興味のないものを選べとは言いませんが、他学部・他学科・他専攻の講義やゼミにも、「ちょっと面白そう」みたいなものは探せば見つかるものです。幅も広がるし、新たな友人と出会える機会もあるかもしれないし、自分の専門分野においても一味違う深みを得られること請け合いです。現に今紹介しているこの本に僕が出会ったのも、そうした行動の結果なわけです。講義そのものにはほとんど出ませんでしたが(すんません)、教科書として指定されていたこの『仕事と日本人』を試験勉強の際に熟読したことは、今振り返っても僕の学生時代のハイライトの一つです。どの大学にいても、興味を持って探せば面白い研究者は必ず見つかるものです。あるいは他大学の講義に潜ってもいいし、少人数のゼミでも直接頼めば参加させてもらえるということは普通にあります。繰り返しますが、教え子諸君、この件に関しては僕の言ってることは間違いなく正しいので是非やってみること(報告楽しみにしてます)。
ということで、最後にもう一度この本のAmazonリンク画像を貼っておきます。しつこいようですが、本当にオススメなんです。「遅刻」や「定年退職」がいつ生まれたものかも分かりますし、「日本人=勤勉」というイメージも意外と新しいものに過ぎないことも分かります。色々驚かされること請け合いなので、是非。
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