憧れの街、バルセロナ

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昔から、もしいつか欧州に行くとしたらバルセロナかイタリア、いや多分バルセロナだろう、と思って生きてきました。理由は色々ありますが、主に以下の6つです。

  1. 92年の五輪の時に父が仕事で1ヶ月現地に滞在したこと
  2. ネスカフェのCMで見たサグラダ・ファミリアとその「未完成」の物語に魅了されたこと
  3. 同じくサグラダ・ファミリアを舞台にしたルパン三世の映画が心に残ったこと
  4. フレディ・マーキュリーが歌う『バルセロナ』を収録したQUEENのアルバムを繰り返し聴いたこと
  5. 敬愛する小説家サフォンの出身地と作品の舞台がバルセロナであること
  6. 我が人生を導いた男、ネイマールJr. がFCバルセロナに移籍したこと

この1〜6番が順番に起きる度に、少しずつ自分の人生の道の行き先にバルセロナという街が現れてくるような予感が強くなっていったわけですが、2016年末、遂にそれが現実になりました。

発端は2015年12月でした。横浜のとあるホテルのロビーで人を待っていた僕は、ちょっと休もうと思って近くにあったソファに腰掛けました。その時たまたま同じソファに座っていた方が、その1年後、僕をバルセロナへの旅に誘ってくださったのです。

メキシコに暮らし、ブラジルに暮らし、ラテンアメリカとの関係性がだんだんと固まってきた近年、そろそろ欧州へ向かう頃だろうと思っていた矢先のことでした。

今までいつも「人」がきっかけで旅の行き先を決めてきたのですが、バルセロナだけはずっと、「街」そのものから強い引力を感じていた唯一に近い場所でした。そのバルセロナ行きも結局は「人」が引き金になって実現したのですが、ともかくも2016年12月29日、僕は自分にとって数少ない「憧れの街」であったバルセロナへの上陸を果たしました。

結論から言うと、現地到着後わずか1日で「住みたい街ナンバーワン」になりました。実質4日間の滞在期間中、その意見は変わるどころか強化され、帰国する頃には「5年以内にこの街に住む」と決めていました。どれくらい住むかは分かりません。でも少なくとも「住む」ことは決めました。

そんな決意の帰国から2ヶ月が過ぎて、あの旅の途上で感じた様々なことがすっかり僕の中で風化しかけている今日この頃、改めて色々思い出すべく、ブログに書くことにしました。感覚が色褪せていく速さに改めて衝撃を受けていますが、日常性の持つ馴化の力というのは本当に侮れませんね。

そう、僕は2017年元旦、サグラダ・ファミリアを眼前に見上げて、祈り、誓ったのです。家族と共に、いつかこの場所に戻ると。祈りの途中でふいに鳩が視界を横切ったことも、すっかり忘れていました。いやー、忘れていました。年初の誓いを実にあっさりと。

あんなに居心地の良い街があるのかというくらい居心地の良い場所でした。こういうことを言うと「数日の滞在で表面だけ見れば誰でもそう思うんだよ」と言わずにいられない「現地通」の人も何処かにいるかもしれませんが、今回感じたのはそんな浅いレベルの感覚ではありません。映画『BIUTIFUL』に描かれるような「移民の街」としてのバルセロナとも出会ってきましたが、そうした全てを含めてあの場所に魅了されたのです。言葉や文化の壁を感じなかったと言う意味では、メキシコやブラジルに暮らした後だったというのは非常に大きかったです。いずれにしても、あれは間違いなく「次に向かうべき場所」の感覚でした。

バルセロナ、バルセロナ、バルセロナ。何と美しい響きでしょう。

愛する故郷・鳥取を完全に後にして何処かに消えてしまう気は全くありませんが、鳥取ともうひとつ、この世界に自分達家族の拠点を確立するなら、今は圧倒的にバルセロナです。

バルセロナを拠点にメキシコやブラジルとの間を行き来しつつ、鳥取でも数ヶ月過ごすような感じの生活ベースを確立できたら、ひとまず言うことなしです。それをベースに、家族で世界中色々見て回る、というのを実現したいですね。

そのためにも今は鳥取をベースに、自分がやるべきことを引き続き頑張ろうと思っている次第です。

メキシコ経由ブラジル行き、ブラジル経由バルセロナ行き、そしてその次の行き先へ。

そう考えるとあまりのんびり足を止めてる暇はないですね。