2013年9月から2015年4月まで、僕は鳥取で寺子屋教師として生活していました。「寺子屋教師」というのは僕が自分で考えた呼び名です。この我ながら大変魅力的な職業についても書きたいことは色々あるのですが、その前にまずは「寺子屋」という場について説明することから始めようと思います。
2013年夏、ブラジルから帰国して鳥取に戻った僕は、ひょんなことから古い倉庫の一角をテナントとして貸してもらえることになりました。そこがとっても魅力的な場所だったので、まず先に場所を借りることにして、それから何をするか、何ができるかを考え始めました。「やりたいこと」の中から、「今」「ここ」で「できること」で、しかも「やる必要がある」と感じられることをひとつに絞った結果、浮かんだ言葉が「寺子屋」でした。要するに教育の場です。とはいえ生徒がいなければ話にならないのですが、これまた同じタイミングで地元の2人の高校生に指導を頼まれるという出来事が重なって、教師1人と生徒2人という形で、「寺子屋」活動がスタートしました。
この「寺子屋」は結局、最初の生徒であった少女2人が高校を卒業するまで続けました。少人数にこだわって広告・宣伝活動は殆ど行わなかったにもかかわらず、それなりに生徒が増えたり、訪問者が現れたりで、正確に数えてはいませんがけっこうな数の人々の出入りがありました。事業としては反省点も多々ありますが、未来に向けた新しい教育の場作りの実験的活動として考えれば、大成功だったと言える1年半でした。本ブログでは、この1年半の活動のレポートもこれから行っていきます。
さて、まずは「寺子屋」というネーミングについてご説明します。今時「寺子屋」なるものを、まして若者が本業として営んでいる例は僕自身聞いたことはなかったのですが、もちろんこれには意味があります。簡単に言えば、「既存の『学校』とも『塾』(予備校含む)とも異なる教育の場」を作りたかったのです。つまりこのネーミングにおいては、「寺子屋である」ことよりも、まず第一に「『学校』や『塾』でない」ことを意識しています。「〜でない」について意識することは、時に「〜である」より重要だったりします。
鳥取のような地方都市の中の地方都市において、教育を担う場は主に2つだけで、それは「学校」と「学習塾」です(都会も基本的には同じようなものかもしれませんが、ここでは僕が当事者として事情に精通している鳥取県東部地区に的を絞ります)。例えば大学進学を目指す高校生を相手にした場合、この2つの教育現場の活動目的と内容はほぼ全く同じです。
生徒の学業成績を上げて、一人でも多く難関大学・有名大学あるいは医学部等に送り込む
たったこれだけです。これが学校になると部活の成績の追求が加わるくらいで、大枠は殆ど一緒です。僕が高校生の頃もそうでしたし、両親や周りの年上の先輩達曰く彼らの時代も全く同じで、僕の生徒や後輩達曰く現在も全く同じです。「今年は東大に何人受かった」「医学部に何人入った」というのが、学校や塾にとっての「成果」であり「自慢」なのです。単刀直入に言って、浅はかとしか言いようがありません。なぜ浅はかなのかは、こんな時代に説明するまでもない気はしますが、一応ちゃんと説明します。
例えば鳥取県内の公立進学校を例にとってみます。鳥取というのは最近スターバックスコーヒーの出店で話題になった通り、「ないない」尽くしなのが特徴といってもよいような、いわゆる「遅れている」県です。新幹線は通る気配もなく、全国区で名の知れた強力な地元企業もなく、鳥取ー羽田間の片道の飛行機運賃は関空ーソウル間の往復運賃より高く、人口は毎年3000人規模で減り続けてもはや総数57万人台で東京の一区分より少なく、過疎化と高齢化の先進地域で、都会との情報格差・文化格差も常に開き続ける一方の、鳥取県です。そんな鳥取の公立進学校とはどういう存在かというと、「ただでさえ人数の少ない鳥取の10代の中でも最も高学力なメンバーを集めて、県民の税金で育成する教育機関」に他なりません。となるとその教育の大目的は疑う余地もなくひとつに絞られます。すなわち「鳥取の未来を担う人間の育成」です。子供でも分かる単純な理屈だと思いますが、いかがでしょう。まさか「人材の県外流出」を目標に掲げるなんてことは、どう考えたって誰もやろうと思わない筈です。
あれ!やってる?!
そう、これが僕の問題意識です。やってるんですよ、実際に。思想・精神を育てないまま学業成績の向上だけを追求してプレッシャーをかけて、1ポイントでも偏差値の高い大学(となると必然的に県外になります)の試験を受けさせて、合格者数を伸ばす。東大京大早稲田慶応一橋東工大旧帝大に受かれば受かるほど、日本各地の医学部に受かれば受かるほど、学校も塾も万歳を叫んで喜ぶわけです。いや、生徒が難関に挑んで結果を手にするというのはもちろん喜ぶべきことです。スポーツであれ勉学であれ、少年少女が何かに打ち込んで汗を流し、結果を手にした時の喜びというのは皆で大いに分かち合うべきものです。そして日本国内で進学先を考えた時に、やはり高偏差値と言われる大学が一定の「目指すだけの価値」を備えていることも否定はしません。僕が問題にしているのは、「なぜ」と「何のために」を置き去りにしたまま結果だけを求めて良しとするその姿勢です。仮にも県民の税金が使われている公立進学校が、「高偏差値の少年少女が自己利益追求の可能性を最大化するための学歴パスポートを獲得する後押し」だけやってていいんですか?というかそんなのそもそも「教育」と呼べるんですか?というのが僕の素朴な疑問なのです。実際、鳥取県東部地区の主な受験進学校の生徒達からは、学校でも塾でも「なぜ」「何のため」をしっかり押さえた進学指導、学習主導を受けたというような話を聞いたことは殆どありません(もちろん僕が聞いたことないという事実がそのまま非存在証明にはなりませんが、現状を一定程度以上リアルに把握している実感は持っているつもりです)。
ここで誤解のないようにひとつ補足しておくと、高校時代、僕自身の学校の先生方との関係はいたって良好でしたし、人間として魅力的で尊敬に値する先生も何人もおられました。個人レベルでは確たる思想・信条のもと日々指導にあたっておられる先生は数多くおられます。でも、そのことと、僕が今展開している批判とは全く別の話です。たとえば個人的に話せばとっても面白い先生が、学校という組織を背負った途端に時代錯誤的な偏差値至上主義者のようななことしか言わなくなるのを目の当たりにしたことが、僕の高校時代にも実際に何度もありました。個々人では心ある実践者が存在していても、いざ組織・社会となった途端に鳥取の教育は時代錯誤的な様相を呈してきます。そして少年少女はそんな教育の在り方に失望したり、あるいは無批判にただ受け入れてしまって、思想なきまま名ばかりの進学を目指すのです。僕はその現状に腹が立っているのです。つまりここでは、個々人の教員の資質や在り方そのものを問う以前に、まず鳥取という社会がこの地域で育つ少年少女に対して差し出す教育の場の在り方を問うているのです。但しもちろんそれは最終的に、一人一人の大人が教育をどう考え、どう態度で表していくかという問題に帰結します。これは単に教師や親だけの問題でなく、「大人」一人一人の問題です。あるいは教育を「受ける」側である少年少女たち自身も、自らの生き死にを左右する問題として自立的に考え態度に表していかなければいけない問題です。
というわけで、少なくとも僕はまず自分自身が当事者としてずっと疑問を持っていた、鳥取の公立校や塾の進学・進路・学習指導における様々な問題点に対して、ずっと一石を投じたいと思っていて、高校時代から今に至るまで、できる範囲で行動に表してきました。教師に議論や交渉を持ちかけたり(実際に聴いてくださった先生がいました)、卒業後は母校に通って教壇に立たせてもらったり(つまり応援してくださる先生がいました)、地元の飲食店の部屋を借りて高校生と日々語り合ったり(今思えば寺子屋の原型でした。そしてやはり応援してくださる地域の方がいました)、東京でも大手予備校の合宿スタッフをしたり、生まれたばかりの教育ベンチャーに参加して高校の教壇に立ったり、常に出来る範囲で色々やりました。大学卒業後は僕が知らなかった鳥取のもうひとつの教育現場、「学習塾」の様子を知りたくて、半年ほど働いてみたりもしました(大体想像通りでした。講師に素晴らしい人がいても、組織として目指す教育の方向性はやはり学校と同じで時代に対応しきれていない印象。他塾も聞いてみたら同じような感じでした。あとは塾の場合、単に労働者としての意識しかない講師も少なからず存在するようです)。と、まあ色々なことをやっているうちに気がつけば高校卒業から10年が経ち、2013年夏、ひょんなことから機会と場所に恵まれて、「実際に自らやってみる」という状況になったのです。
何か、あれですね、思ったよりかなり長い話になりそうですね。いったんここで切り上げて、続きを改めて書くことにします。真面目な話ばかりも疲れるので、最後にとってもお洒落なブラジルの音楽バンドの曲をひとつ紹介して終わります。「Natiruts(ナッチフッツ)」というバンドです。実は僕、今回のブラジル滞在中に友達に誘われてライブ行ってきました。でも、会場の音響がダメ過ぎたせいで全然良さが分からずに終わってしまったのです。で、昨日改めてYouTubeで聴いたらめちゃめちゃ良かったので、それからずっと聴いています。ここでご紹介するのは、リオデジャネイロの街を背景にしたアコースティック版です。涼しくて、オシャレです。というわけで、ぜひ肩の力を抜いて楽しんでくださいね。「寺子屋」の話は次回に続きます。