オクラホマ、オクラホマ

Oklahoma-Flag-US-State-Metal-XL突然ですが、僕は小学生の頃から「オクラホマ」という存在に対して妙な畏敬の念と親近感を持って生きています。「オクラホマ」といえばアメリカ合衆国オクラホマ州のことなのですが、これまで一度も行ったことはないですし、今のところ特に訪ねる予定もないです。それでも今でも「オクラホマ」という単語に出会う度、何か他人事でないようなものを感じて注意を向けてしまう癖は変わりません。

例えば僕は滅多にキャップというものを被らないのですが、2ヶ月程前から約5年ぶりにキャップを被って出かけるようになりました。そのキャップはブラジルで友人が経営しているTシャツ屋で妻が見つけて、思わず試着していたら店主の彼が快くプレゼントしてくれたものなのですが、何を隠そう「OKLAHOMA」と書いてあったのです。「あ、オクラホマだ!」と思って、次の瞬間にはもう購入するつもりで試着していました。地球の反対側のブラジルの、大西洋岸のとある船着場の小さなお店で、僕がやって来るのをじっと待っていたようにしか思えなかったのです。間違いありません。勘違い上等です。しかもそれは他でもない、僕ら夫婦をブラジルに招待してくれた偉大なる友、フェリペの経営するお店での出会いだったのですからなおさらです。しかも彼は、迷うことなくその帽子を僕にプレゼントしてくれました(この直前にTシャツを買った時は無理矢理代金を受け取ってもらったのですが、キャップに関しては彼の方が頑として譲りませんでした。まったく男前な友人です)。僕にとっては彼との友情の印ともなったこのオクラホマキャップは、単なる帽子以上の宝物として大切に日本に持って帰りました。

僕のオクラホマとの関係の始まりは、小学校時代に遡ります。おそらく低学年だったと記憶していますが、ある日祖母と一緒に買い物に出かけた時のことです。ホームセンターに入ったのですが、そこのレジの一角でテレビゲームのソフトを売っていました。ファミリーコンピュータ、通称ファミコンのソフトです。当時は既にスーパーファミコンの時代だったのですが、あえて初代ファミコンの方で遊んだりする時もあったのです。ともかく、この時レジのカウンターで僕が見つけたのは、こちらのソフトです。

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『くにおくん びっくり熱血新記録〜はるかなる金メダル〜』という、当時流行っていた「くにおくん」シリーズのソフトです。今調べたら(便利な時代です)1992年発売とありました。僕の両親はファミコンソフトの購入に消極的な方だったため、ありがちな「おばあちゃんに頼む作戦」を駄目元で敢行したのです。後にも先にもゲームソフトを頼んで買ってもらったのはこの時だけでしたが、家に帰ると母も意外にあっさりと「よかったね」みたいな反応だったような気がします(気がしてるだけかもしれません)。これは4つの高校が一風変わった種目の運動会で優勝を争う、という内容のゲームでした。2人まで一緒に遊べて、4つの中から好きな学校を自分で選んでプレーします。ところが実際にはもう1チーム、コンピュータ専用で自分では操作できないのですが、ボス的な存在としてゲーム内に登場する高校生達がいました。すなわち「オクラホマチーム」です。このオクラホマチームというのがやたらと強くて、なかなか歯が立たなかったのです(あくまでファミコンの運動会の話です)。スティーブとかジョニーとか、今思い返しても如何にもな名前のキャラクターばかりだったのですが、こいつらが皆揃いも揃って手強いのなんの。この時僕は幼心に「オクラホマは強い」「一筋縄じゃいかないオクラホマ」「こいつらは只者じゃない」ということを強く感じ、素直な心と単純な頭の持ち主だった僕の内側に、強烈なイメージとして刻まれることになったのです(もちろん後になって振り返って気づいたことで、当時は何も考えずに「打倒オクラホマ」を目指していただけです)。つまり、これがその後20年以上経った現在まで続く、僕とオクラホマとの関係の始まりだったのです。それはもう衝撃的な体験でした。ちなみにこいつらです↓

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その後何年か経って、僕は祖母の家でとあるフィギュアをもらいます。それはおそらくオリンピック競技か何かを記念したもので、各種目の競技者を模した小さなフィギュア達でした。色付けはされておらず真っ白な状態で受け取ったのですが、更に何年か経ったある日、田舎の暇な少年だった僕はこのフィギュアに色を塗ることを思いつきました。マッキーの8色セットか何かを取り出して順に色付けしていったのですが、そのそれぞれに色付けの後で名前(あるいは作品タイトル)を付けました。その中の一つ、重量挙げのフィギュアを赤シャツ青短パンに金髪サングラスのUSAスタイルに仕上げたのですが、その台座に僕が書き込んだ言葉が「オクラホマ」でした。このフィギュアは自室の蛍光灯のスイッチの紐に先端に取り付けたため、それ以来僕の部屋は、文字通りど真ん中に「オクラホマ」が堂々と浮いている空間となりました。

またオクラホマといえば、そこかしこで「オクラホマミキサー」という言葉を耳にしました。それが何を指しているのかは正直全然理解していなかったのですが(ダンスの名前だったんですね)、それを耳にする度に「そうか、やっぱりオクラホマは凄いんだ」「そういう名前がついて広まるくらい知られた存在なんだ」と、オクラホマに一目置いていた僕の判断の正しさを裏付ける証拠のように感じていたことを覚えています。

まだあります。大学受験を控えた高校3年生の頃だったのですが、学校の進路指導室前の廊下のテーブルに米国留学のパンフレットが置いてあるのを見つけて、家に持って帰りました。それはアイビーリーグのような高額の私立大学でなく、比較的費用が安くて住む州立大学をメインに紹介したパンフレットでした。各州が擁する州立大学が、荘厳な講堂や美しいキャンパスの様子を示す写真と共に、順に掲載されていました。それこそ何十という大学が載っていたのですが、その中で一際僕の目を引いたのが、他でもない「オクラホマ州立大学」だったのです。理由はひとつ、それが「オクラホマ」だったからです。その夜、僕はたったこれだけを理由にこの大学への進学を真剣に検討し始め、自宅のパソコンで同大学のウェブサイトを訪れました。キャンパスの様子や設置学部についてなど、わりと細かく調べたことを覚えています。少なくともウェブサイトで見た限りでは、なかなか綺麗なキャンパスで好印象でした。一方オクラホマがUSAの中でどの辺に位置するか、USAの大学全体の中で同大学がどういった評価と位置付けなのか、等についてはおそらく殆ど理解も調査もしていなかったような気がします。こちらも充分に重要な情報だと思うのですが、どういうわけかそこまで思いが至らなかったようです。それでも、僕は日本の大学に入学できなったら米国に行こう、オクラホマに行こう、とけっこう本気で考えていました。浪人するなら県外がいいけど、おそらくその場合大阪になるのかな、いや、浪人はしたくない。一発で受かろう。とはいえ入試というのは結果が出てみるまで分からないので、全力でやってどうしても駄目だった場合は、もう浪人せずにそのままアメリカに行こう。その時は多分オクラホマだ。といったようなことです。結局日本で大学に受かったので米国には(そしてオクラホマにも)行きませんでしたが、場合によってはそういう可能性もあったのかと改めて思うと、不思議な感じがします。(下の写真がオクラホマ州立大学)

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ちなみに僕が「オクラホマ」なるものに心を捉えられた大きな理由の一つに、この言葉の語感や響きというものがあったように思います。正直に言って、日本語の一般的な感性で「オクラホマ」という単語を見たり聞いたりした場合、どう考えてもあまり格好良くはないわけです。だって「オクラ」とか「ホマ」とか言ってるんですよ。なんだその田舎っぽい感じはと。この言葉の響きの何とも言えずダサい感じみたいなものが、どこか親しみを持たせてくれたのかもしれません。これは決してバカにしてネガティブな意味で言っているのではなく(そもそも僕自身田舎者ですから)、どことなく可愛らしくて、愛嬌のある感じの名前だと思いませんか。何だか意味もなく言いたくなってしまう単語、特に理由もないのに発音してたら少し楽しくなってしまう単語なのです。この「オクラホマ」というやつは。(一応この名の起源について付け加えておくと、ネイティブアメリカンの言葉で「赤い人々」を指す先住民言語が由来のようです)

今回ブラジルを訪ねる前と後とで僕の何が変わったかといえば、はっきりした変化のひとつが「オクラホマのキャップを被っている」ことです。それはもう何年も記憶の奥の方にしまい込まれていたオクラホマとの関係性の復活でした。今日も用があってメキシコシティの地図を開いて見ていた時、メキシコに住んでいた当時お世話になった日本料理店の近くに「オクラホマ」という名前の通りがあるのを見つけました。思わず「おおっ!」と声を上げたことは言うまでもありません。

いやはや、オクラホマひとつでこんなに語ってしまいました。ここまでお付き合いくださった寛大にしてヒマな読者の皆さん、ありがとうございます。

改めてオクラホマ州について簡単に調べてみたら、単に名前が田舎っぽく響くだけに留まらず、どうやら米国内でも本当に「田舎」の代名詞みたいな所のようですね。それと、ネイティブアメリカンの歴史と深い関わりのある場所だったことを知りました(つまり悲しい歴史が生んだ場所ということでもあります)。一体いつになるかは予想もつきませんが、何かのタイミングで実際にこの地を訪れる日も来るかもしれませんね。せっかくですから少しずつ少しずつ、この不思議な縁で繋がった土地との距離を縮めていこうかな、と思っています。オクラホマ、オクラホマ。