昨日のことですが、1歳8ヶ月の息子とレゴブロックで遊んでいたら、途中で急に手を止めて側にあったカタログを手に取り、熱心に「読み」始めました。正確には「眺めて」いたんだと思いますが、その真剣さと集中力を見ていると、何かを「読んで」いるように見えてくるから不思議です。いったい何を思ってカタログに手を伸ばし(正確にはそれが「カタログ」だという認識もないと思いますが)、何をあんなに熱心に見ていたのか(見ようとしていたのか)やはり気になって仕方ないのですが、尋ねても全く耳に入らない様子だったので、教えてもらうのは諦めました。ちなみにこの時カタログを手に取る直前に、彼は初めてほぼ自分の手で「作品」らしい何かを作りました。力が足りなかったり凹凸をうまく合わせられなかった時など、ちょっとした手助けはしましたが、それを別にすれば一応一人で「作品」を一つ仕上げました。ちなみにこんなんです。
このレゴの例に限らないのですが、彼を日々観察していて感じるのは、常に目の前の何かを全力で追いかけて生きているということです。その姿には過去も遠い未来もなく、あるのはただ現在と一歩先の未来だけです。その姿勢を見ていると、「そりゃ成長速いわ」と妙に納得してしまいます。「今ここ」で自らの視界に存在する具体的な何かと向き合うことだけに集中して、何度失敗して泣いても次の瞬間には再び挑戦を再開するわけですから、「そういう人」が爆発的な進化を遂げない理由がありません。その姿はもはや「我が子」という「小さな守るべき存在」というより、むしろ日々の生き方、人としての在り方を姿勢と態度で示してくれるお手本、つまり「我が師匠」と表現した方がしっくりきます。彼はほぼ毎日、途切れることなく「昨日の自分」を超えながら生きています。一つ一つは「小さな」達成です。それこそレゴのパーツとパーツを嵌められるようになったとか、あるいはボールを蹴ることができたとか、自分の手でコップを持って水を飲めるようになったとか、そんなことです。この「小さな一歩」の継続的な積み重ねが、最終的にどれほどの圧倒的な進化や変化を可能にするのかということを、彼が生まれて我が家で一緒に暮らし始めてからというもの、日々目の当たりにさせられています。
もっと言えば、彼には自分の挑戦が「小さい」とか「大きい」とか、そんな「雑念」すらありません。ひとつひとつの瞬間において、彼はシンプルに夢中で、無心です。
僕も自分にとって大切な物事や課題において、彼のような姿勢とシンプルさで日々挑戦と試行錯誤を重ねることができれば、間違いなく日進月歩の勢いで己を進化させ続けられることでしょう。「初心忘るべからず」と言いますが、誕生後の最初の数年間に僕も発揮していたであろう「無心」という名の初心を、共に生活するこの小さな「師匠」の姿から少しでも取り戻せればと想っています。日々目の前の小さな目標にしっかり集中し、試行錯誤を恐れずに達成し、その過程を繰り返す。ここに「大人」として持っている「反省」の能力や「知恵」といったものを良い意味でプラスすることができれば、ある意味で乳幼児以上の進化を続けることすら可能になるかもしれません。
無心さにおいて彼に優ることは非常に難しいとは思いますが、僕もできる限り無心な状態で、目の前の具体的な何かに真摯に向き合う一日を積み重ねながら生きていきたいです。この小さな師匠に、これからもついていこうと思います。